2013/07/02

台湾


$私は書きたい

ドキュメンタリー監督の酒井充子さんの新作「台湾アイデンティティー」を観た。
酒井さんにとっては、「台湾人生」に続いて、台湾の日本語世代に光を当てた作品である。
同じ日本語世代といっても、「台湾人生」は日本語世代の戦前の日本への見方を取り上げたのに対し、本作では戦後の台湾で日本語世代がどう生きたかが主題になっている。

登場するのは5人の老人たちだ。白色テロで父親を処刑された少数民族・ツオウ族の女性や、台湾独立派の日本語の雑誌を翻訳しようとして逮捕され、緑島で10年間以上獄中生活を送り、その後旅行会社を立ち上げた男性など、それぞれが波瀾と苦難に満ちた人生を送った様をインタビューで描き出している。

私の知る限り、ドキュメンタリー監督という人種は基本的に強すぎるぐらい我が強く、素材を自分の思う通りのストーリーに加工してしまうタイプが多い。ところが、酒井監督の作品を観ていつも思うのは、この人は素材をそのまんま観客にぶん投げてしまう人だということだ。
「とにかく一つの作品にしたのだから、あとは皆さんで考えて下さい」と言わんばかりに。
この映画も5人の人生を交互に映していきながら、突然、ブツッと終わってしまう。

かといってもちろん手を抜いているのではなく、ご本人に聞いてみたことはないが、きっとそれを意識的にやっているのだろう。観た後も心に良い意味での消化不良な何かを残し、尾を引く作品になっている。そのあたりの技量は「台湾人生」よりも巧みになった印象だ。

私なりに理解したこの作品の最大のテーマは、あるアイデンティティーを持った人々(日本語世代)が、異なるアイデンティティーを持つ相手(国民党政権)と突然、一緒に生きることになり、政治的に劣位の立場に置かれ、しかもその相手がそのアイデンティティーを攻撃的に否定してきたとき、その人々はどのような人生を歩むのかという問題ではないかと思う。

彼らの人生は、のみ込んだ苦しみと悲しみは想像を超えたものに違いないが、語られる言葉は不思議にすがすがしく、強く、潔い。こうした単なる昔話にしてしまうにはあまりにももったいない物語が、台湾には山のようにあることを改めてこの作品から教えられる。

酒井監督は、2009年に「台湾人生」を完成し、昨年は郭茂林という建築家を描いた「空を拓く」を発表している。大変なハイペースで、とにかくいまは撮りたくてしょうがないのだろう。
私としては、「台湾人生」「台湾アイデンティティー」に続いてもし三部作とするならば最後の作品として、「日本語世代と台湾独立運動」というテーマに挑戦して、日本語世代を描く仕事の集大成としてもらいたい気がする。

「台湾アイデンティティー」
7月6日(土)からポレポレ東中野で上映

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