2013/07/15

歴史

$私は書きたい

「鹿角市先人顕彰館」に、一枚の写真が飾ってあった。
湖南が京大退官後に暮らした恭仁山荘から眺めた風景だった。
「あっ」と思って、湖南顕彰会の勝田さんの方を見ると、
これは「湖南の家から眺めた毛馬内の景色にそっくりです」と返事が返ってきた。

湖南の家は高台にある。そこから眺めた風景を湖南はこんな風に書いている。

吾の家、爽丘の上に在り、而して下平田に臨む、五宮、靑狭間、諸嶽蒼翠軒に入り、而して遥碧八幡平に連なるを望み、米白川の三源流、三方より来りて、雄神雌神の両絶壁の間に会流し、練を抱くの色、眼底に在り 庭隅一老松、斜に眼界を遮断す、是れ郷に帰るの時、毎に数里の外より望で以て家門の標識と為す所也。醇庵の隠居、何如の景なるを知らず、其の衡門茅屋の新居を想ふ毎に、又郷思を棖觸して、神百七十里の外に飛ぶを免れず。

京都大学を退官した湖南が移り住んだ恭仁山荘も高台にあり、農村の向こうに春日山を見渡せる。
湖南の家からも、いまでは木々に囲まれて見えなくなっているが、
当時は毛馬内富士などの山々が見渡せる。
湖南は、終生の地として毛馬内に戻ることは選ばなかったが、
故郷のことは忘れたことがなく、また、忘れるべきではないと考えたに違いない。(続く)

© 2024 Nojima Tsuyoshi