2020/02/15

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新型コロナウイルスへの対応、台湾と日本、どちらが正しいか

(リンゴ日報2/14掲載コラムの日本語版)

 

新型コロナウイルスの影響は多方面に渡っているが、特に同情を禁じ得ないのが、ダイヤモンド・プリンセス号に載っている人々である。日本人でも台湾人でも、あの狭い船のなかで、部屋の外に出られず、感染が広がる恐怖に怯えながら暮らしている人たちのことを想像するだけで、なんとも息苦しい気持ちになる。

私も日本で講演がキャンセルされたり、香港出張の予定も取り消ししたりした。ただ、台湾で今週予定していた私の新刊書「野島剛的漫遊世界食考學」に関するプロモーション活動については、台北ブックフェアなどでの講演はキャンセルしたが、メディアの取材やラジオ出演で十数件ほどの予定はキャンセルせず、台湾に飛ぶことにした。そこで感じたのは、日本と台湾の「防疫意識」の違いだ。

日本ではダイヤモンド・プリンセス号の集団感染があるため、感染者数は増えているが、そちらを外せば、日本と台湾の感染拡大は、中国や香港・マカオに比べてそこまで悪くない。いってみれば日本も台湾も感染の恐怖に怯えながら、ギリギリで頑張っているところである。

ところが、日本から台湾に到着したとたんに、空港や街中に漂っている日本にはない緊張感をピリピリと感じた。マスク人口は、台湾では8割はいるが、日本では3割ぐらいだ。ビルのエレベーターに乗るとき、私だけマスクをしいないと睨まれるし、私をインタビューする人からも「マスクをしていてもいいですか」と尋ねられた。私もマスクを持っているが、どうしても、ついつい外してしまうのだ。

一方、日本では、そんなことは起きない。マスクをしない方が普通で、している人のほうは珍しい。満員電車でもマスクをせずに咳き込んでいる人はたくさんいる。いい気分はしないが、目くじらを立てるまではない、という空気はある。

これは、二つの理由があると思う。一つは、日本ではこの何十年間か「パンデミック」と呼ばれる現象を経験していない。おそらく1970年ごろに「香港インフルエンザ」が流行したのが最後だろう。これに対して、台湾は2002年にSARSを経験し、80人以上の死者を出している。十年以上昔だが、それでも台湾社会での記憶は強烈だ。2007年に台湾に朝日新聞の記者として赴任したときでも、タクシーの車内でくしゃみをしたら運転手に嫌な顔をされたことを覚えている。

もう一つの理由は「リスク」に対する政府の姿勢であろう。台湾は、過剰なほどに厳しく措置を講じている。これは、いったん感染が始まったら取り返しがつかなくなる「リスク」を前提にした対応で、マスクの公共場所での義務化やマスクの配給制、中国・香港・マカオからの乗客の規制などは、日本では見られない措置である。

一方、日本では、こうした措置は一切取られていない。マスクも不足しているが、なければないでしょうがない、高値で取引されても違法としての取締りはされない。公共の場所でも行動は制限されない。空港のチェックも緩やかで健康調査票も配らない。中国からの入国も、武漢と浙江以外は制限していない。

これは、日本においては「できるだけ、日本の状況が深刻でないように印象付けたい」という政府と日本社会の思いがあるからのように思う。なぜなら、日本では五輪を7月に控えている。そこへの影響が及ぶは避けたいからだ。

私が思うに、日本が想定しているのは「パンデミックのリスク」ではなく、「五輪が失敗するリスク」なのである。だが、これは危険なやり方だ。なぜなら、パンデミックが日本国内で起きてしまったら、その時点で取り返しが付かなくなるからだ。2月3月は厳しく取り締まって、4月から「安全な日本」を宣伝すればいいと私は思うが、いまの日本の対応はそうではないようだ。

台湾が正しいか、日本が正しいか。1ヶ月もすれば結果は出ているだろう。

© 2020 Nojima Tsuyoshi