2013/07/24

私的書評

丹羽前中国大使『北京烈日』の消化不良感

 東北に行く用事があり、新幹線の道中でちょうど読み切れるぐらいの本が欲しいと思って、図書館で、丹羽宇一郎前中国大使の書いた『北京烈日 中国で考えた国家ビジョン2050』を借りた。激動の日中関係のまっただ中で、丹羽氏が何を書いているのか、興味津々でページをめくったが、正直言って消化不良の印象だけが残った。

 書いている内容がつまらない、というわけではない。日中には安定的な関係が必要で、尖閣諸島問題でも係争があることを認め、話し合いを続けるべきだ、という主張には、個人的にも同意するところが多い。丹羽氏の語る経済ビジョンについても、なるほどと思わせる箇所が少なくない。

 しかし、問題は、この本が2つの別々の視点から書かれているところだ。中国大使という外交官としての視点と、元伊藤忠商事経営者の経済人としての視点である。

 序章「北京の空気」でPM2.5問題を、第1章「尖閣諸島問題のあとさき」で尖閣問題をそれぞれ書いたあと、第2章から第5章までは、日本経済と世界経済についての丹羽氏の分析とビジョン内容になる。そして第6章、第7章で再び中国について書いている。

 しかし、どう読んでみても、この2つの内容が有機的に結びついていない。

 外交官として見聞したことを1冊の書物として後世に残すことは言うまでもなく大切な仕事だ。ましてや、丹羽氏は日中の大きな転換点となったこの時期に中国にいたのだから、時間をかけて、歴史的記録と呼ぶに値するような、熟成・整理した内容に磨き上げるべきだった。本書を読む限り、外交官としてもどこか第三者的な突き放した記述となっており、現場に巻き込まれた当事者の躍動感が行間からにじみ出てくる内容ではない。退任後に守秘義務に縛られていることは分かるが、ならば拙速に出さない方が良かった。

 逆に経済ビジョンについても書くなら、前大使としての体験談などに本のスペースを割かず、1人の経済人として世に問うだけでいい。本のパッケージはタイトルにもあるように、あくまでも前中国大使カラーで打ち出している。これは、経済人の話を外交の体験談でパッケージして売っているようなもので、いささか反則気味なのではないだろうか。

 内容について唯一と言っていい資料的価値があると思われるのは、2012年9月にウラジオストクで開かれたAPECで行なわれた野田首相・胡錦濤国家主席(いずれも当時)の「立ち話」についての部分だ。この立ち話、誰が会談をアレンジしたのか、何を話し合ったのか、丹羽氏は何も知らされておらず、「謎としか言いようがない」と述べている。

 そして、丹羽氏は、北京の日本大使館がこの会談から排除され、情報をまったく共有されていないことが「非常識」であると野田政権を批判している。確かにひどい話であると思う。実際、この重大な意義を持っていたと考えられる野田・胡錦濤会談の実態がどんなものであったのか、ほとんど明かされていない。

 丹羽氏が蚊帳の外に置かれた理由は、推察するに、丹羽氏及び大使館と野田政権との間の信頼関係が失われていたためだ。その点については、丹羽氏は野田政権を責めるだけでなく、信頼関係が失われた原因を自身の言動を含めて、客観的に検討してもらいたかった。その上で、野田政権に非があるならば読者としても納得もいくのだが、この点についてもほとんど触れておらず、物足りない。対中外交の最前線にいたはずの丹羽氏から「知っているが言えない」ではなく、「謎」であると突き放されてしまっては、「え、大使ってそんなに何にも知らないでいいの?」と思ってしまうのは、私だけだろうか。

(野嶋剛)

*国際情報サイト「フォーサイト」に執筆したものです。

© 2024 Nojima Tsuyoshi