2011/06/12
新聞社に入って、記事を書き始めて今年で20年になります。
この間、佐賀、久留米、福岡、東京、シンガポール、東京、台北、東京と、
めまぐるしく拠点を変えながら、記事を書き続けてきました。
いま、新聞社では中国語媒体の編集長という仕事をしています。
この年齢になると、企業ジャーナリストはいくつかのルートに分かれていきます。
会社で組織人として出世していく人。出世はしないが、組織人として生き残っていく人。
編集委員や論説委員、特派員など、特定分野の専門記者として書き続けていく人。
私はどこになっていくのか分かりません。ただ、最終的に決めるのは会社です。
では、会社が「お前は書かなくていい」と決めたら、私はどうすればいいのか。
しかし、私は書くために会社に入ったのであって、ほかにしたいことはありません。
自分という人材をどうやって活用するのかは会社が決めることですが、
書くという自分の生業を続けるかどうかという点まで他者に委ねていることはできません。
幸い、現時点では「書くな」とは言われていませんが、
もしそうした局面に向き合ったとき、辞めるにせよ、会社にとどまるにせよ、
一人でも書き続けていく覚悟と能力を持っていたいと思っています。
同僚からはいつも「よく書くね」と言われるほど、記事は多く書く方です。
ですが、新聞という限られた紙面と多くの制約のなかで、いつも「書き足りない」と思っていました。
そのため、30歳を過ぎたころから、社外の雑誌などに文章を書くようになりました。
いまでも、あれこれ書いています。今月末には二冊目の本も出る予定です。
自分が書きたいこと、書いたことを、このブログで読者の方々にお伝えする一方、
記事や本では書ききれないことも、ここで紹介していこうと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。