2011/07/27
円山大飯店は、昔は台北観光のシンボルだった。
台北市内のどこからでも見える真っ赤な中国風の建築は、101ビルができるまでは、台北最大のランドマークだった。羽田-松山線が就航してからめっきり使うことが少なくなったが、その前は日本から桃園国際空港に着いた後、高速道路を走って台北市内に入ってくると真っ先に目に入ってくるのが円山大飯店で、台北に来たことを実感させる。1980年代の末、台湾に青年交流のグループに参加したことがあるが、最終日、みんなでお金を出しあって円山大飯店に部屋をとって、5人ぐらいで1つの部屋に泊まってものすごく興奮したことがあった。
円山大飯店は台北の北、円山という土地の小高い丘のうえに建っている。蒋介石の宋美齢が開業当初から経営に関わり、現在も役員の半分は交通部という役所などから派遣されており、半官半民の経営という珍しいスタイルをとってきた。施設は老朽化し、台北市内から距離があってタクシー以外での移動が難しいため、経営は長期的に低迷しており、次第にビジネス客や自由旅行の観光客に敬遠され、台北市内に建ったリージェントやシャングリラなど外資系ホテルに台湾トップホテルの座を奪われて久しかった。
私も知人が来たときに遠くからでもよく見える円山大飯店を「すごい外観でしょう」と紹介はしても、泊まることを勧めたことはない。台湾在任中に一度だけ中台直接対話の会場となったので仕事場として借り切って泊まってみたが、冷房は止まるわ、お湯はぬるいは、たまたま泊まった部屋がだめだったのかも知れないが、本当にひどいものだった。
しかし、いま、2008年の中国人観光客の開放以来、円山大飯店は甦った。なぜなら中国人にとって、台湾で行きたい場所は故宮と阿里山、食べたいものは牛肉面、そして泊まりたい場所は、円山大飯店なのだという。ロビーには中国人観光客の御用達のような雰囲気になり、中国からのビジネス客や国際会議も基本的に円山大飯店を指定するところが多いので、本当に経営的にも中国のおかげで甦ってしまったのである。
最近、この円山大飯店の社長のポストをめぐる騒動が新聞の紙面をにぎわせた。
元台北市長で、李登輝の子飼いの政治家だった黄大洲社長が、就任1年にして事実上の解任となった。本人の辞職声明では「政治的理由による」と暴露し、通常は前任者による引き継ぎを兼ねて行われる後任の就任会見にも黄大洲氏は姿を見せなかった。
後任は、国民党のメディア担当の責任者だった李建栄氏。台湾にいたとき取材でよく付き合った人物だ。穏やかな人柄で敵も少なかったが、基本的には国民党の連戦元主席の子飼いと目されている。連戦氏とそりがまったく合わない馬英九体制になって2年目にポストを外されていたが、ここで華麗なる復活を遂げた形となった。
政治好きの目からみれば、今回のお家騒動はなかなか面白いものがある。
円山大飯店のポストはもともと李登輝と馬英九の関係が良かったころ、馬英九政権が指名して黄大洲氏にやらせたものだ。いってみれば李登輝へのプレゼント。ところが、この1年の間に、李登輝と馬英九は両岸経済協力協定(ECFA)などをめぐって完全に反目することとなり、李登輝は最近、昔の不正資金流用の罪で起訴されてしまった。黄大洲の首が切られたことは馬英九陣営の李登輝攻撃の一環と見る向きがある。
もう一つは、急に業績が良くなった円山大飯店のトップのポストはやはり身内で固めて起きたいとの発想も強まり、選挙を控えた馬英九が普段は仲良くできていない連戦氏へのご機嫌取りを兼ねて、李建栄氏をトップにすえた、という観測である。
円山大飯店のお家騒動は、このホテルがいまも台湾において「政治」との関係を断ち切っていない稀有なホテルであることを物語っている。