2012年は大変お世話になりました。ブログを読んで下さった皆様、ありがとうございました。

今年最後のブログは、少し昔の話になるが、週刊朝日の橋下大阪市長の記事の問題について書いてみたい。

自分は朝日新聞の社員だが、基本的に内部情報は一切知らない。これから書くことは、あくまでもジャーナリズムに身を置く一個人としてしばらく考えていたことだ。

週刊朝日の記事を読んだとき、最大の違和感は、筆者である佐野真一氏の文章に「現場の匂い」がほとんどしなかったことだった。

文章には「佐野作品」のらしさがなく、観念や批判があまりに先行しすぎて、主張の是非うんぬんよりも、ジャーナリズムの作品として説得力が足りないと感じた。

その後、同和をめぐる表現が問題化したのはご承知の通りだが、基本的には、私としては問題の本質は取材と執筆のあり方に隠されていると感じていた。そして、第三者の検証委員会が発表した報告書を読んで、最初に記事を読んだときに感じた違和感の正体が分かった。

取材のほとんどはかなり前から週刊朝日の方で進めていて、アンカー兼メインライターとして依頼を受けた佐野氏は執筆にあたり、数日しか現場に行っていなかったのである。週刊誌や月刊誌に、この種のチーム取材が普通に行われていることは理解している。ただ、世間一般に与える印象はあくまでも「佐野氏の作品」であることも間違いなかった。

発売前に文章の表現上の是非が内部で問われたとき、週刊朝日編集部の方は「佐野氏の作品」とという認識で、社内の疑問を押し切った。一方、佐野氏は「「週刊朝日との共同作品」と考えていたようで、ぎりぎりのところで主体的に関わっていたようには見えない。その両者のずれが、本来は大事に至らない形で解決可能だった問題をここまで深刻化させてしまったことが、手に取るように分かった。

思い出しのは佐野氏の名作「東電OL殺人事件」だ。自宅の本棚から改めて手に取って読み直した。殺害現場である渋谷のホテル街に繰り返し足を運んだ佐野氏のスタイルがそこにはあった。まさに「現場百遍」。その現場へのこだわりは圧倒的で、リアルさは現場への執拗な描写から生まれていた。そして、週刊朝日の記事では残念ながら欠けていたものだ。

そんなことを考えていたら、先週発売された週刊ポストの新年号に佐野氏の「ノンフィクション再論」が掲載されていた。これは、週刊朝日の問題だけではなく、週刊ポストに連載されていた池田大作氏と創価学会をテーマにした作品への反省を記した懺悔と再起を表明する一文だった。

そこで佐野氏はこう書いていた。
「アームチェアノンフィクションをあれだけバカにしながらも、愚かにも自分が座学の書き手となってしまった」と。

とても潔い一文で、自らの失敗を総括している。佐野氏のような大ベテランにとってとりわけ簡単なことではなかったと思う。そして、自分にも突き刺さる一言だった。

現在、私の年齢は44歳。新聞社に入って20年になる。このぐらいになると日本では多くの記者たちがデスクと呼ばれる中間管理職となり、現場から離れていく。私も基本的に会社ではそんな境遇にある。そんな生活をしていると、現場の重要さにはいま一つ鈍感になりがちだ。

現場を歩くことは体力を使うし、面倒だし、行数を稼げるというわけでもない。ネットとデータベースで集めた情報をたくみに整理すれば、コメントの一つも加えて、立派な記事に仕立てるだけの小手先の技術も身につけた。しかし、だからこそ、現場の手づかみの情報と匂いこそ、ジャーナリズムの書き手が常に身にまとわなければならない防弾チョッキのようなものなのだということを、週刊朝日の問題が自分に改めて教えてくれたと考えたい。

© 2021 Nojima Tsuyoshi