2013/02/05
先月末、台湾の抗議船が尖閣諸島に接近、上陸を試みた、というニュースが流れた。実のところ、今回、尖閣諸島海域で日本、中国、台湾の公船がすべて顔をそろえ、対峙するという歴史上初めての出来事だった。興味深く、重要な示唆を含んでいるので、当時の状況をかいつまんで紹介したい。
24日午前2時45分、台湾北部・基隆市の港から台湾の活動家が乗った「全家福号」が出航した。「全家福号」の出航目的は航海の安全を守る民間信仰の媽祖という神様の像を、尖閣諸島に安置するためとされている。そして、「全家福号」の警護という理由で、台湾の海巡署(海保に相当)の巡視船4隻も台湾から出航した。「和星艦」「連江艦」という2隻の中型の巡視船と10018、10050という識別番号がある2隻の小型艇から編成されていた。
24日日本時間午前11時ごろ、「全家福号」と台湾の巡視船が尖閣諸島の接続海域に入った。彼らは台湾からまっすぐ航行してきたので、西南の角度から尖閣諸島に近づこうとしており、これに対して、日本の海保の巡視船8隻が進行方向に立ちふさがる形で向き合った。
そして中国は21日から継続して尖閣諸島海域を航行していた「海監23」「海監46」「海監137」の3隻の海洋監視船が、台湾の船団の後を追う形で接続水域に入っていた。中国船と台湾船の距離はおよそ0・3カイリ。かなり近づいていたため、台湾の和星号はここで「釣魚台は中華民国の領土であり、ここは中華民国釣魚台の海域である。ただちに離れて下さい」と呼びかけた。
その後、台湾の船団が尖閣諸島に近づこうとする試みは海保によって阻止され、日本時間の正午ごろ、尖閣接近をあきらめた「全家福号」は釣り竿を取り出して魚を釣るかのような行動を取り、その周囲を日中台の公船が取り囲むような形となって緊張感が高まったが、30分ほどしてから「全家福号」は台湾に向けて再び動き出し、同日夜11時ごろに基隆の港に帰投した。
これまで、尖閣諸島をめぐる対応は、日本対中国、日本対台湾、という個別の対決であって、「三つどもえの戦い」になることはなかった。その意味で、今回、日中台の主張がからみあった尖閣問題の実態が、尖閣諸島海域で現実のものとなったことは新しい事態である。
中国はかねてから、尖閣問題において台湾との「共闘」を成し遂げることを狙っている。中国の海洋監視船が台湾の船団をサポートするような位置に船を置いたことは、その姿勢を示そうという駆け引きの一環だったはずだ。今回、もし台湾が中国船に退去を呼びかけていなければ、その第一歩として大きな成果になったはずだが、結果として台湾はその誘いには乗らなかった。
台湾においては、日本だけでなく、中国に対しても「中華民国」の主権を強く打ち出せたことで、台湾の国内世論は一定の満足感を得たようだった。これに対し、微妙なざわめきが広がったのが中国だった。
中国外交部の報道官は「中国は釣魚島問題の立場は一貫しており、明確であり、揺るぎないものだ。我々は注意深く事態の推移を見守っている」と述べるにとどめ、関係改善が進んできた台湾への直接的な批判は控えた。
しかし、ネット上では台湾への批判が続出。「馬政府は奇妙きわまりない。日本と、漁業交渉はして、主権はどうでもいいのか」「両岸は手を携えて保釣にあたるべきだ。台湾の行動は理解できない」という声が上がった。中国の「環球時報」も「両岸が尖閣防衛で協調しなければ日本はさらに増長する」と題した社説を掲載した。
尖閣の領有権を台湾が主張する根拠は「尖閣諸島には中華民国の主権が及んでいる」という立場に立っているからである。しかし、中国の中華人民共和国政府は中華民国の存在を認めていない。その両者が共闘するとすれば、「立場に違いはあっても、釣魚島(釣魚台)は我々中華民族のものだ」ということをアピールしていくしかない。しかし、現時点で馬英九政権はその一線(中華民国という立場)を超えるつもりはない、ということを、行動によって中国に示したことになる。
*国際情報サイト「フォーサイト」に掲載したものです。