2013/07/11
日本で中国研究の開祖となった一人である内藤湖南について調べているのだが、なかなかインスピレーションが湧いてこないので、思い切って週末の休みを利用して、内藤湖南の故郷である秋田県鹿角市毛馬内を訪ねた。
湖南を生んだ内藤家は、いまも毛馬内に暮らしている。玄関には内藤の表札があった。その玄関は、簡素な木造の門なのだが、扁額がやけに大きく、薄く消えかけた文字で、「蒼龍窟」と書いてある。これは湖南の父・十湾がつけたものだったらしい。
湖南は、父・十湾とは、まるでこの世に二人だけの家族のように助け合い、励まし合った。湖南があれだけの漢学の知識を得ることができたのは、ひとえに父親が寄り添った教育のお陰にほかならない。もちろん、湖南には天性の聡明と明晰が備わっていたことは言うまでもないが。
毛馬内の街道からちょっと登った小高い岡の上にある湖南宅の玄関の横には、「湖南先生旧宅」の碑があり、湖南の上半身の銅像が立っていた。その奥には、湖南の書斎だった「三余堂」があるというか、物置のようで、当時のままかどうかは分からなかった。(続く)