2013/08/04

台湾

「日治」か「日據」か――日本統治をめぐる台湾の論争

 日本が台湾を統治した時代のことをどのように呼ぶのかをめぐり、台湾で大論争が起きた。国民党の馬英九政権はこのほど、公文書では統一して「日據」を使うことを決定。中央及び地方の官庁に対して「日據」の使用を求める通達を出した。台湾の人々にとって、この論争は何を意味しているのだろうか。
「日治」も「日據」も同じ「日本統治」という意味である。ただ、漢字の面白さでもあるのだが、「日治」だと日本統治の合法性を強調したニュアンスにあり、「日據」では逆に違法性を強調したニュアンスになる。なぜなら「治」は中立的な言葉だが、「據」には軍隊などの勢力が無理やり占領しているという意味が含まれているからだ。

 この問題は、日本の台湾統治を台湾の人々がどう考えるか、日本の台湾統治は合法的なものと見なすのかどうかという本質的な問題にかかわってくる。

 日本は日清戦争に勝利した結果、下関条約によって台湾を清朝から割譲された。日本にとっては清朝との正式な外交文書の取り決めで決まったことであり、違法性がないことは当時の国際常識でもあった。その意味で、台湾は日本の領土であり、世界もそれを認めていた。

 しかし、第2次世界大戦の敗北によって、日本は「日本が清朝から盗み取った領土」を返還すると定めたカイロ宣言の順守をうたったポツダム宣言を受託した。この時点で、台湾の領有について、中国の立場からすれば日本に奪われたのであり、合法性がないから返還されるのだというロジックが生まれた。

 英米と並ぶカイロ宣言の当事者であった中華民国体制はいま台湾にある。中華民国史観からすれば「日據」という言葉を使う方がしっくりくるのである。

 しかし、台湾には、必ずしもこうした中華民国史観に同意しない人も多い。特にかつて李登輝氏が語ったように「台湾は外来政権に次々と統治されてきた」という認識に立っている独立派や民進党の人々は、オランダも清朝も日本も中華民国も台湾の歴史からすれば等しく外来政権であり、合法・違法の問題は存在しないという立場にある。彼らは「日據」という言葉には拒否反応すら持っている。

 台湾に暮らしたときに困ったのが、「日治」と「日據」の使い分けだった。人によって「日治」と言う人もいれば「日據」と言う人もいる。馬総統のような外省人はたいてい「日據」を使った。しかし、台湾の普通の人は「日治」の方が多かった気がする。私自身は日本人として比較的中立的に響く「日本統治」という4文字を使うようにした。

 台湾における「日治」と「日據」の使用の混在は、いつか問題になるという予感があった。なぜなら、先に述べたように、台湾政治におけるアイデンティティーと政治の問題が深く絡まっているからだ。

 今回、この問題が議論になったきっかけは「日治」と「日據」のどちらを台湾の教科書で使うべきかという問題だった。論争の末、台湾の教育省は両方の混在を認め、教科書を執筆する人間の立場を尊重するという考え方を取った。台湾の教科書も日本と同様、民間の会社が執筆したものを学校側が選ぶという仕組みだからだ。

 これに対し、台湾の行政院は公文書用語として「日據」を選んだ理由について「中華民国の国家主権と民族の尊厳に基づく」という説明を行なっている。そこには、「中華民国総統」であり、中華民国体制の信奉者とされる馬英九総統の意向も働いた可能性が高い。

「侵略」か「進出」をめぐって日本で起きた論争と同様に、歴史の言葉遣いは時に重い意味を持ち、普段はあいまいにされている人々の政治的立場を明らかにする作用がある。

*国際情報サイトフォーサイトに執筆したものです。

© 2024 Nojima Tsuyoshi