2013/08/30
『釣魚島主権帰属』というタイトルのとても分厚い中国語の本が今春、中国の人民日報出版社から出版された。先月北京を訪れた際に書店で購入して読んでみたが、本の中身うんぬんではなく、出版の背後にある「意図」を想像して残念な思いがした。
内容的には過去に発表された資料をまとめただけで、オリジナリティーはゼロに等しい。既存の刊行物で十分に網羅されている文章ばかりで、資料集としての価値も高くはない。下関条約やカイロ宣言、ポツダム宣言、日中共同声明の全文まで載せている。ネットで検索するだけで作れそうな本である。中国語に翻訳された日本人の文章には井上清、高橋庄五郎、そして孫崎享などの名前が並んでいる。いずれも尖閣諸島領有の日本側主張に疑念を向けた議論を展開した日本国内の識者たちばかりだ。
本の編者は「北京中日新聞事業促進会」と書かれている。あまり普段は耳にしない団体だが、日本で駐在経験がある中国人記者を中心に作られている親睦団体だ。
どうして元日本駐在記者たちがこのような本を出したのか。中国の知人のベテラン記者に聞くと、「いまの中国では日本通というだけで肩身が狭い。日本にいたことがある記者たちは各メディアで幹部となっている。自分の立場上、組織内で親日派と見られないための政治的なパフォーマンスのようなものですよ」という話だった。
本の冒頭では、同促進会の代表を務めている元人民日報東京特派員の孫東民氏が「本書の読み方」と題した一文を書いている。孫東民氏は、多くの日中関係団体で役員を務めており、中国を代表する日本通と言われる1人だ。新日中友好21世紀委員会の委員でもあった。そこにはこんな記述がある。
「2012年、右翼の政治屋・石原慎太郎は東京都が年内に尖閣諸島を購入すると称した。同年の下半期、野田政府と右翼勢力は一体となり、完全に中国を挑発する態度を見せた。7月7日、日本が中国への全面的な侵略を開始した日を意図的に選んで国有化の宣言を行なった。8月15日の日本の降伏日に釣魚島付近で14人の中国公民の乗っている船を捕まえた。そして、歴史上日本が中国への侵略戦争を発動した9月18日の直前の9月11日に、公然と中国の釣魚島を購入したのである」
日本人が、盧溝橋事件の7月7日とか柳条湖事件の9月18日などの中国人にとっての「記念日」を意識しながら政策決定を下しているはずがない。尖閣諸島に上陸した香港の活動家を逮捕したのも受動的に対応したに過ぎない。日本にいた記者ならばこれぐらいのことは当然理解していてしかるべきだが、悪意をもって日本が日付を選んだかのような虚偽の内容を、知日派の権威と呼ばれる人が堂々と書いていることに驚かされる。
記者でも学者でも企業人でも、おおよそ現地に滞在した経験を持つ人間は、その国に対して一定の理解とシンパシーを持つものだ。現地を知れば、その国ごとに複雑で難しい事情があり、善意で動いている人も多く、一刀両断に批判も称賛も出来ないことが分かってくる。どうしても強硬路線に傾きがちな国内の議論において、ある種の防波堤的な役割を果たすことが、相手国を知る人間にとっては一種の責務のようなものなのである。
中国には難しいお国柄があり、知日派というだけで面倒になる部分があることは理解できるが、せめて沈黙していて欲しい。内向きの論理だけでこのような日本批判の書物を出すことは、報道人としても「友人」としても恥ずかしい行動ではないだろうか。
*この文章は国際情報サイト「フォーサイト」に執筆したものです。