なんとなく単なる好奇心で手に取ったが、読んでいるうちにもやもやしてきて、何か言いたくなってくる本。間違ったことは書いているわけではないのだが、嫌な気分になる。「朝日新聞記者有志」というからには、志があるってことなんだろうけど、どこに志があるの?って突っ込みたくなる。

 今回の問題の本質が、外部のメディアから言われているような朝日新聞の左寄り的な政治的スタンスではなく、社内の硬直した官僚的な組織と、保身・出世優先の個々人のビヘイビアにあったという認識には同意します。原発の吉田証言についても、早くから記事の不十分なところを承知していながら訂正に踏み切れなかったプロセスも、私はいま編集局におらず全然詳しくないのだが、第三者委員会などの報告書を読む限り、その通りだと思います。
 
 でも、硬直的な官僚組織だったので過ちをただす機会を逸した、ということは、平たくいえば、組織に個が埋没してしまって、間違ったことでも間違っていると言えなかった、ということなのに、そのことを批判する人が「有志」という名の隠れ蓑に個を隠してどうするのと言いたい。
 
 本当に義憤を感じ、自分が働いている会社の内情を明らかにするなら、言論機関にいるのだから、処分覚悟で堂々と名前を出して語って欲しかった。「朝日新聞の再生を願う」と書きながら、実際は一種の憂さ晴らしをやっているとすら勘ぐりたくなってしまう。

 本当によく分からなかったのが、辰濃さんという朝日の元記者だけが名前を出している。本によれば、朝日にいたとき、従軍慰安婦の記事を自分でも書いたことがあり、書いているうちに自分の名前を出さないでいるのがいたたまれなくなり、ゲラになった時点で編集者に「生き様が試されているようです」というメールを送って結局、自分の名前を出すことに決めた、という。

 これって、最初は匿名で出すことを前提に書いていたことなのだろうか?すでに社外にいながら、なぜ匿名で書こうとしたのだろうか?優秀な人だとの評判だし、社内に多くの人脈を持っているのだろうから、なぜ一人のジャーナリストとして、朝日問題の真相を解明するため、1年でも2年でも時間をかけて1冊の本にして、それこそ自分の生き様を世に問えば良かったのにと思う。

 この文章を書いた人々の心に巣くった弱さこそ、朝日をおかしくした原因の一つだと考えるからこそ、この本を読んで素直に「面白かった」とはどうしても思えないのである。

© 2019 Nojima Tsuyoshi