2016/03/06
3月18日に台湾文化センターでお話しますが、その前に、ちょっとだけ、映画評を書きました。
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「orzボーイズ」(原題:囧男孩)は、生身の台湾を実体験できる作品 / 野嶋 剛
台湾は小さいところである。それでいて、人が多い。しかも、外省とか本省とか客家とか原住民(先住民族)とか、バックグラウンドや習慣の異なるいろいろなグループを抱え込んでいる。その複雑な社会のなかで、台湾の人々は、あまり他人に気を使っていないように見えて、実はすごく細かいところでちゃんと人と人との距離をしっかり量っているところがある。そして、他人のちょっとした心の動きには、結構、鋭く感応するセンサーを持っている。
そんな彼らがつくった映画には、ハリウッド映画のようなスピード感もなく、中国映画のように歴史大作のスケール感もなく、韓国映画のような残酷さもなく、日本映画のように単純な「愛してる!」の連呼もないけれど、なぜか心がふるふる動かされるようなエッセンスが詰まっているのである。この「orzボーイズ」(原題:囧男孩)も、そうした台湾社会の片隅にある、小さいけれど、誰もが共感できる感情を、巧みに描き出している。
思い起こせば、この作品が上映された2008年は、「台湾映画復活元年」と呼べるような一年だった。特に「海角七号 君想う、国境の南」(原題:海角七號)、「九月に降る風」(原題:九降風)、そしてこの「orzボーイズ」は、いずれも優れた作品であり、かつ、過去の台湾ニューシネマ時代にあったような難解さを排し、台湾そのものに向き合おうという姿勢を強く感じさせる面でも、共通点があった。
本作の中国語タイトルにある「囧」だが、もともとあまり使われない漢字で、「明」の異体字という説もあれば、中国語で窓を意味する「窗」の象形文字という説もある。しかし、これがなんとなく人の顔に見えるため、落ち込んだ表情を表す顔文字として、ここ10年ぐらいでネットでの使用が広がった。
ただ、映画に出てくる主人公の2人の子供は、落ち込んでいる、というよりは、元気がよすぎて周りを困らせてばかりの子供である。2人は、いつも先生に怒られてばかりのいたずらっ子だ。「嘘つき一号」「嘘つき二号」と名前をつけられる。どちらも家庭に恵まれていない。怒りと孤独を心に溜め込んだ矛先は、他人や権力への攻撃にも転化される。
そして2人の思いは「異次元」に飛ぶ。劇中、何度も出てくるアニメーションは賛否両論あろうが、子供にとってはアニメも現実もそうは変わらない。子供から大人への変貌を、本人たちの望まない形で強いられる二人の成長が本作の主題だ。テレビの長編ドラマで活躍してきた楊雅喆監督にとっては初の長編映画であり、同時に各方面から賞賛の声を送られた。楊監督はこのあと「GF*BF」(原題:女朋友。男朋友)を撮って、大輪の花を咲かせた。
特に子供たちの自然な言語がいい。台湾の当時の映画記事で楊監督のインタビューを見つけたが、演じる子供たちに意見を聞きながら、「子供たちの台詞は、随時、子供たちが普段から使っている言葉に修正していきました」と語っていて、納得がいった。ともかく本作は、昨今の台湾社会の生身の姿を日本の皆さんが実体験するには、うってつけの作品であることは間違いない。