2016/12/22

台湾映画

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なんだかとても 注目作という感じで評判になっていた台湾映画「再見瓦城」を見に行った。
台湾でちょうど上映が始まった12月9日だった。今年の金馬奨の最優秀作品賞など6部門にノミネートされ、もしかすると大きな賞を受賞するかもとの期待もあったので、見るのが大変楽しみにに出かけた。ところが、結論からいえば、想像したほどの出来ではなかった。持ち上げられすぎだ。この映画を受賞作の候補に推した審査員たちは本当にプロとして厳しい目でこの映画を見たのか、今ひとつ理解できないという思いにとらわれた。
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(右端が趙徳胤監督)
 監督は、 ミャンマー出身のいわゆる「新移民」として台湾で活躍するMidi Z(ミディ・ジー)こと趙徳胤。タイで働く多くのミャンマー人を取材して脚本を自ら書いて仕上げた作品で、経済的に苦境にあるミャンマーからタイに渡った華人系の不法労働者の男女を描いた内容になっている。趙徳胤監督は過去の作品「氷毒」などはいずれも高い評価を受けている。
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 興味深かったのは、ミャンマー人における華人の存在が浮かび上がるところだ。言葉も、なまりもある中国語を使っている。映画の中では「ラーショー」から来たと主人公が語っているので、シャン州出身ということになるだろう。ミャンマーにおける華人の立ち位置は、非常に複雑で、かつ苦しいものがあり、この映画は、若いころに台湾に渡って苦学した監督自身の物語でもある。そういう意味では、監督にとって撮るべき映画、撮らなくてはならない映画だったのだろう。
 主人公は蓮青という女性だ。彼女は密航でタイに渡った。だから、もちろんビザも身分証もない。できる仕事は最下層の皿洗い。そこも労働許可証がないということで追い出されてしまった。次は紡績工場。ここでも立場は弱く、同じ密航仲間が事故で足を切断してもわずかな賠償しか得られなかった。彼女はなんとかして高いお金を払って労働許可証が欲しい。そして、最後に選んだ選択は自分を商品とすることだった。
 映画のなかで「台湾」という言葉が出てきたのは一度だけだった。それは、どうして「文書」を取ることに必死になっているか、恋人から聞かれたとき、「台湾にも働きにいけるかもしれない」といった一言だけだった。
 決して、失敗作や駄作と呼べる作品ではない。「いい作品」であるとも言えるだろう。しかし、金馬奨の最優秀作品の最終候補5作のなかにノミネートされるべき作品だとは思えない。その水準に作品が達していない。一つの作品としての完成度がまだまだ低いからである。
 台湾映画の受賞作が少ないことに対して、今回、少なからぬ議論が巻き起こった。その問題は確かにある。金馬奨は台湾本土性を全面に打ち出した作品に辛口の点をつける。そこには金馬奨が「華人社会」の代表作たるべきだという自負があるからだ。しかし、台湾社会から「中華性」が相当程度、薄まっているなか、いつまでも「中華の代表」という地位を目指せるのかということは再考しなくてはならない。
 ただ、この作品が最終候補5作にノミネートされたこと自体に、逆に私は金馬奨の審査員の審査能力を疑いたい気持ちになった。そこにはある種、期待の新星である趙德胤監督に対する「甘さ」があったのでないだろうか。趙德胤監督はもっと多くの映画を撮って、もっと鍛えられてから、表舞台に上がったほうがいい監督である。
 この作品は創作であり、ドラマだ。ドラマとするには、ドラマでしか描けないことがあるはずだ。そのドラマにして撮った理由が最後まで私には見えてこない映画だった。主演の2人は好演した。特に大麻事件で一時名声が失墜した柯震東の演技力は決して錆び付いていないことを認識させられた。
 ここに描かれている物語のそれぞれの内容はとても重いものである。だが、皿洗いしかり、紡績工場しかり、売春という仕事しかり。しかし、いずれも「きっとこういうことがあるんだろうな」という我々の想像を超えたものではない。これがドキュメンタリーであれば、私はきっとその取材力に拍手喝采を送れたにちがいない。
 だが、ドラマの映画としてはあまりにも意外性や飛躍がなさすぎする。これは言い過ぎかもしれないし、監督本人はきっと否定するにちがいないが、欧米の映画祭の審査員や金馬奨の審査員に好みに合いやすい主題や作風になるように仕上げた作り手の「媚び」も感じてしまった。監督もすでに若手から中堅の域に入っている。撮りたいものを撮る姿勢は貴重なものだが、映画は大衆娯楽であるという原点を忘れてはならない。

© 2021 Nojima Tsuyoshi