2011/06/29
河本大作大佐といえば、戦前の日本陸軍についてあまり詳しくない人でも名前は聞き覚えがあるのではないだろうか。なにしろ、中国の軍閥・張作霖を、列車に爆薬を仕掛けて殺害した、とされている人物だ。日本どころか、中国でも悪名は鳴り響いている。
昭和3年、満州鉄道と京奉線が交叉する地点で、張作霖が乗った特別列車が大爆発を起こし、張作霖は重体となって死亡した。河本大佐は関与を認め、責任を負って陸軍を離れた。しかし、その現場状況や河本大佐自身の証言に矛盾点が多いことも知られており、私自身も、後に民間人として山西省日本兵残留問題で暗躍した河本大佐という人物への関心もあって、この問題には引っかかりを感じていた。
先週末、東京・神田で、PHP新書から『謎解き「張作霖爆殺事件」』を出された加藤康男さんの講演を聴く機会があった。
①河本の供述では200キロの爆薬を橋脚のわきに仕掛けたというが、列車は上部部分が大破している。
②河本供述を否定するような内容の報告書が関東軍参謀長から提出されていたが、無視されていた。
③英国の公文書館でも、当時のMI6の報告書でソ連関与説が疑われている。 加藤さんはこれらの疑問点から、河本大佐首謀説を否定し、新説として、北伐途上の蒋介石軍、張作霖の息子の張学良、ソ連の3者が組んで爆殺を仕掛け、日本に責任をかぶせた、とする推理を語った。
加藤さんの議論には、
①肝心のロシア側の公式資料が出てきていないこと
②台湾・中国で主張を裏付ける公式資料が出てきていない
③責任をかぶせられた形の日本側が反論しなかった動機がはっきりしないこと、
などの弱点があり、ご自身もそのことは認めておられた。
河本首謀説は、日本の歴史研究の大家に軒並み支持されており、これを崩すことは容易ではない。しかし、少なくとも河本首謀説にはクエスチョンがつくべきだ、という主張はそれなりに説得力があったし、再検証が求められる点は私も同感。「日本の満州進出の発端となった張作霖爆殺は河本大作と日本陸軍による謀略」という定説に果敢にチャレンジを続ける加藤さんのご努力に注目していきたい。
*新潮社有料国際情報サイト「フォーサイト」の野嶋のコラムより転載