2012/04/10
本日発売の「文藝春秋」五月号に「時代を創った女 日中台をつなぐ血脈と人脈 ジュディ・オング」を執筆した。原稿用紙にして約50枚。久々に書いた人物ものの大型記事となった。
ジュディオングという人について、日本人には「魅せられて」のイメージがとても強く、「あのひらひらを来ていた人」という風に思い起こす人も多いに違いない。
しかし、今回の原稿では、そうしたジュディ・オングへのステレオタイプの見方をきちんと解体し、その実像を改めて私なりに再構築して、日本の読者に提示することを目指した。
取材にはほぼ半年をかけた。台湾にも三度、四度は足を運んだ。ジュディにも三度インタビューし、ジュディの両親や知人、恩人などに会った。
内容については、ぜひ文藝春秋本誌を読んでほしいのだけけれど、一つだけ強調させてもらいたいのは、日本という異国において、台湾出身のジュディが歌手、俳優、版画家など様々な分野において、半世紀にわたって第一線で活躍してきたことが持っているすごみである。
一人の人間が緊張を持ちながら一つの事業の打ち込める期間はせいぜい10年や20年ぐらいだ。しかし、ジュディは9歳で子役の俳優としてデビューから50年間以上にわたって、どの仕事にも基本的に全力投球し、大きな成果を残してきたということだ。
そこには、ジュディが生まれながらの表現者であることと、社会へのメッセージを発したいというある種の使命感すら感じる。他人の拍手を集めることに生涯を捧げることに対し、一切の迷いを見せない人物である。
加えて、私のライフワークの一つである「日本・中国・台湾」という、アジアの近代史が作りあげた奇妙で不思議な三角関係を、ジュディほどのその一身に体現した人物はいないということだ。かなりこの点は詳しく書き込んだ。このへんも今回の文章で感じ取っていただければとても嬉しいと思う。