2013/01/13

その他

$私は書きたい

九州国立博物館で開かれている「ボストン美術館 日本の至宝」を見てきた。
ボストン美術館には、世界に冠たる日本美術コレクションが存在していることは、
かねてから広く知られてきた。
今回の展覧会は、そのボストン美術館からかってない規模で日本美術コレクションを借り出し、
東京、名古屋、大阪、福岡の四大都市で展示を行うという企画である。
私は「なぜボストンに日本の至宝があるのか」という点に関心があった。
それは「ふたつの故宮博物院」「謎の名画・清明上河図」という二つの拙著でも追究してきた「文化は移動する」「では、なぜ何故、文化は移動するのか」というテーマに深く関係しているからだ。
展覧会場に足を運んで度肝を抜かれたのは、霊鷲山で釈迦が説法を説いている光景を描いた「法華堂根本曼荼羅図」だった。奈良時代の本格的な仏教絵画は日本に数枚しか現存していないはずだ。奈良時代は中国では唐代。唐代の絵画というのは中国でもそうそうお目にかかれない。これをゆっくり見られただけでも、眼福至極だと言うことができよう。
このほか、平安、鎌倉時代のキラ星のような絵画がそろっていて、誠に豪華と言うしかない。
このボストン美術館の日本美術コレクションは、著名な三人の米国人、モース、フェロノサ、ビゲローによって形成され、それを整理・体系化したのが、ボストン美術館で東洋美術部長を務めた岡倉天心だった。
動物学者であったモースや若き美術学者だったフェロノサ、医者で資産家だったビゲローたちは来日して日本の美術品を買いまくった明治初期は、当時は明治維新による極端な西洋化が進められる一方、日本で美術品を保有していた伝統勢力である大名家が廃藩置県などの制度変化によって経済的な基盤を失って、手元にある美術品を少しでも現金に変えたいと考えた時期だった。
開国したばかりの日本に対する好奇心と、時代の激変を迎えていた日本の事情がちょうど重なり合い、世界でも類例のない日本美術コレクションが、ボストンにもたらされたのだった。
このことが日本にとって良かったのか否かは論議する必要はない。
なぜなら文化とは、経済的に豊かで、文化程度も高い方へと、自ずと移動していくからであり、
当時の日本美術が欧米に流れていくということは一種の歴史的必然だったからである。
明治期の日本からは浮世絵や仏教画など多くの美術品が欧米に流出する一方で、
清朝末期の混乱から清朝の貴族たちが手放した大量の中国美術が流入していた時期でもあった。
こういう観点から国家の盛衰と文化の移動について考えることはとても楽しい。
その意味で、ボストン美術館展は私にとっては非常に価値のある展覧会となった。

© 2024 Nojima Tsuyoshi