中国で最も影響力のある経済学者の1人で、市場経済と民主主義の必要性を訴えて常に大胆な発言を行なってきた茅于軾が最近、公の場でその「後世に与えた悪しき影響」をめぐって毛沢東のことを痛罵し、話題を集めている。

 茅于軾は中国では右派と認定されることが多く、大躍進から文革時代には農村に送られて貧困と重労働にあえぐ暮らしを送った。鉄道の専門家から経済の研究者に転じ、社会科学院を退職後は友人の経済学者などとシンクタンクを作って現在84歳という高齢にありながら積極的に言論・研究活動を続けている。

 茅于軾はかつて毛沢東の神格化を批判した「毛沢東を人間に」という主張で左派から猛攻撃を受けたこともあったが、いま毛沢東が復活しつつある現状に耐えきれず、改めて毛沢東攻撃の火蓋を切った形だ。

 茅于軾は最近北京で開かれたシンポジウムの場で「毛沢東の闘争哲学は中国の子孫を害している」と指摘した。

「1949年までの中国人は倫理も道徳もあった。台湾はいまでも礼儀や羞恥心、孝行や仁愛など中国の伝統的な考えを維持しているが、中国は歴史の中でお互いに闘争を繰り返し、他者への優しさや謙譲、羞恥心などを失い、危険な社会になってしまっている」

 また、民主化については「我々の政府は憲政、民主、人権を訴える良心的な人間を捕まえ、独裁を主張する人間は誰一人捕まえていない。いったい誰が政府にとって最も危ないのか」と問いかけ、「民主は単なる形式で、その中身は寛容で平和的に礼儀正しい態度だ」と述べた。

 誠にけれん味のない主張で、84歳という高齢もあって、失うものはないという覚悟で語っているのだろう。ここまで胸がすっきりする発言は、このところの中国でお目にかかったことはない。

 これに対し、いまや左派の牙城となった「環球時報」は、単仁平という同紙評論員が、「茅于軾は社会の分裂を狙っている」とさっそく反論した。

 この記事のタイトルは「大衆政治の焦点になることが、茅于軾の選択だ」。記事の趣旨は、「茅于軾は中国社会の団結を促進するべきで、社会を分裂させる衝突点になるべきでない」と批判している。つまりこれは、左派=毛沢東支持者と右派=毛沢東批判者の対立を招こうとしていると批判しているのである。

 これに対し、茅于軾は自分のところには毛沢東主義者からデマや個人攻撃、いやがらせ電話が続いており、衝突を起こしているのは自分ではなく、毛沢東主義者の方だと反論している。

 この茅于軾の発言をめぐる一連の動きは左派と右派の深刻な対立を象徴している。いまの中国社会では、左派つまり毛沢東支持者が勢力を拡大している。分かりやすい例が、追放された薄熙来が展開した革命歌の熱唱運動「唱紅歌」キャンペーンだ。また、中国で成功している多くの大企業の創業者たちにも、アリババドットコムの馬雲や、通信機器・華為の創業者、任正非など毛沢東時代に教育を受けた「毛の子供たち」が多く、成功体験を語るときに「毛沢東語録」や毛沢東の著作によって多くのビジネスに役立つ示唆を受けた、といった類いの話を聞くことも多い。

 そして、いま指導者となった習近平国家主席も「毛の子供たち」の1人であり、「改革開放の成功によって毛沢東を完全に否定するべきではない」といった発言の端々に毛沢東への思慕を感じさせる。最近、中国の著名な政治学者の呉祥来が「あなたは毛沢東の息子ではない」と習近平を批判していたが、毛沢東時代の政治運動で手ひどい目に遭ってきた知識人の間には、いままで毛沢東に対して中立的立場を守ってきた指導部が、習近平の最高指導者就任によって左派の方に軸足を移すのではないかという警戒感が強まっている。

 茅于軾が再び毛派への批判の声を上げたのは、こうした時代の空気を感じ取っての行動ではないかと思われる。毛沢東はすでに過去の人であり、その影響力はあらゆる意味で失われているが、毛沢東思想の影響力はいまも中国に色濃く残っている。それを愛するにせよ、憎むにせよ、肯定するにせよ、否定するにせよ、それぞれの主張が相手方を刺激する構図は消えていない。しかも、毛沢東という存在がそれぞれの人生を左右した痛烈な個人体験と結びついているだけにやっかいだ。中国社会ではいまも毛沢東という巨人を挟んで、深くて暗い亀裂が広がっているのである。

*国際情報サイト「フォーサイト」に掲載

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