2013/08/18

その他

 中国のテンセント(腾讯)ブログサイト「大家」に月二回のブログを開いて半年。書いた一本の記事で、初めてアクセスが100万を突破した。祝!嬉しい。
中国ではいま、簡体字と繁体字について論争が活発化しており、その問題について、日本人の立場から書きました。これが日本語です。

 香港の芸能人、黄秋生が、微博で発したこの言葉が、中国で話題になった。
 “在中国写中文正体字居然过半人看不懂,哎,华夏文明在大陆已死。”
 中国人は当然反発した。いろいろな反論が出ており、そのことについては本欄では言及しない。ここで語りたいのは、同じ漢字を日常的に使用する日本人として、この繁体字と簡体字の問題をどう考えるか、という問題である。
 この問題については、もちろん中国人や台湾人、香港人、そして世界中で中国語を使う華人の人々が当事者であることは言うまでもない。しかし、日本人にも少しは発言権がある。なぜなら、日本人もまた長きにわたって「漢字」を使ってきた民族であり、いまも言語のなかで日常的に漢字をそのままの形で用いる中華圏以外の唯一の民族だからだ。コリア語にもベトナム語にも漢字の表現は残っているが、表記は別の表音文字に取って代わられている。漢字は何と言っても表意文字。そのまま漢字を使ってこその漢字だ。
 同時に、私個人についても、この問題については、20年以上にわたって考え続けてきていることもある。私は、高校生の頃から中国語を学び始めた。故郷は横浜にあり、横浜には中華街がある。中華街のある中華料理店で皿洗いのアルバイトをしていたら、中国語に興味を持って、お店の主人に相談したら、ご主人の娘さんの大学生が週に一回、アルバイトの前に教えてくれることになった。
 そのお店は台湾系のお店だったので、教わったのは台湾で使われている繁体字だった。中国語の基礎をちょっと学んだところで大学に入った。専攻は新聞学だったが、第二外国語では中国語を選択した。日本の大学で教えるのは中国の簡体字だ。
 その後、大学の交換留学で20歳のとき、香港中文大学に留学して中国語を学んだ。なぜ大陸ではなく、香港かという質問をよく受けるが、香港という複雑な場所に興味があったとしか言いようがない。そこで学んだのは繁体字である。
 大学を卒業し、新聞社に入って、30歳のときに再び中国に留学できることになった。選んだのは廈門大学で、毎日使っていたのは簡体字である。
 その後、新聞社の特派員として派遣されたのはシンガポールと台湾だが、シンガポールでは簡体字、台湾では繁体字の世界で生活した。いまは朝日新聞の中文網の編集長をしているが、これはもっぱら中国向けに簡体字の記事を作り続けている。
 私がいかに簡体字と繁体字の世界でさまよってきたのか、多少は分かってもらえただろうか。これほど簡体字と繁体字の両方の世界を行ったり来たりしている日本人は少ない。
 そんな私だから言わせていただきたいが、簡体字と繁体字は、確かに多くの違いがあって、文字によってはまったく別の文字に近い形になっているものもあるが、結局のところ、どちらも漢字であり、外国人から見れば、中国人や台湾人、香港人が感じるほどの大きな違いはないと思っている。つまり、黄秋生の言う、「中国人が繁体字を理解できないから、華夏文化を失っている」というのは正確な主張とは言えない。
 ただ、黄秋生の指摘のなかで、漢字を文化と結びつけた点は正しい。中国大陸で漢字が成立してから少なくとも三千年を超える長い歴史を持っている。その間に成し遂げられた知的、文化的な創造は、漢字によって行われ、漢字によって集積されてきた。中国の文化ほどその言葉を愛し、文字を愛するものはなく、中国人は漢字の国であることを誇りとした。そして、日本もその漢字があったおかげで、5世紀以来、日本に多くの政治思想や制度、宗教などの知識が漢字を通じて伝わり、日本文化は大きく発展した。その意味で、漢字こそが中国の文化であり、漢字の問題には真剣に向き合わなくてはならない。
かつて毛沢東は、漢字のローマ字化を推進しようとしたが断念した経緯がある。その影響もあって、簡体字については、行き過ぎた簡略化が見られる。日本人の目から見ても、いくつかの簡体字の文字は漢字としての生命力、表現力を失っている。中国において識字教育が一定の目的を達成したいま、これらの文字は修正されるべきだろう。
例えば馬は「马」と書く必要はないし、電の「电」にも違和感がある。習近平国家主席の名前も「习近平」より「習近平」の方がご本人も格好いいと感じるのではないか。
 一方、繁体字については、確かに漢字の伝統を守っているが、やはり現代人の感覚からすると難しすぎる文字が多すぎる。例えば台湾の「湾」繁体字では「灣」だが、簡体字では「湾」で日本語でも「湾」だ。「灣」を漢字で覚える意味などあるだろうか?
私の長男は台湾の小学校で漢字を学んだが、自宅で宿題をするほとんどの時間を繁体字の漢字の書き取りに費やしてしまい、正直、子供の創造性を育てるという意味で心配になった。現代人に繁体字は少々難しすぎるのである。
 私は、将来的には簡体字の簡単すぎる部分と、繁体字の難しすぎる部分をそれぞれ修正し、「以簡統繁」でも「以繁統簡」でもない新しい漢字「新体字」を作ってはどうかと思う。中国、台湾、香港、世界から漢字問題の有識者を集めて研究すればいい。そして、そこにはできれば日本もオブザーバーで参加し、外国人としてのアドバイスと同時に、日本語における漢字をサンプルとして提供することもできる。もちろんこれは1年や2年で完成できることではない。10年、20年をかけていい作業だ。簡体字がいいか繁体字がいいからで言い争うより、よほど夢があるし、後世の人々に対する貢献となるに違いない。

© 2021 Nojima Tsuyoshi