2013/08/19

食とエンタメ

$私は書きたい

先日、世田谷パブリックシアターで、舞台「春琴shun-kin」を観たが、
えらく感動したので、キンドルで「春琴抄」を100円の電子ブックで購入して読んだ。

ある男女が、目が見えないという障害を抱えながら常人の達せない領域で生きた話である。
この小説は、谷崎潤一郎の耽美主義の傑作と定義されている。
耽美主義はよく分からないが、美うんぬんよりも、障害という問題、純愛という問題、SMという問題など、いろいろ考えるところが多い。
一つ感じたのは、男女の純愛は、ある限定された環境で、成し遂げられるということだろうか。
まったくたまたまなのだが、「悪人」というちょっと前の映画を観たばかりだった。
これも、妻夫木が女性を殺し、そのあとに出会った深津絵里と、逃避行に走りながら、真実の愛(のようなもの)にたどりつくという話で、二人の間には確かに純愛らしきものが存在した。
舞台の「春琴」の役もたまたま同じ深津絵里だったので、余計に強く感じたのかも知れない。
とにかく、純愛は、純愛が可能である条件下において達成されるもので、
一種の奇跡、蜃気楼のようなものではないかと思う。
それが、春琴抄では、春琴と佐助という二人の人間で成し遂げられたのである。

ちなみに、舞台では、深津絵里の演技に惚れ込んだ。
特に子供時代の春琴の声音が恐ろしいほどリアルに表現されていて、
彼女の女優としてのすごさを改めて思い知らされる。
「悪人」を観たとき、この人はとても深いところで役になりきれる人だと思ったが、
舞台でも、春琴の追っている業の深さと悲しさをきちんと背負い込んで演じていた。

舞台の「春琴」はイギリスのマクバーニーという演出家が、
舞台と観客が一体化できる仕掛けをたくさんしている斬新な演出もあって、
真夏であるのに、寒気がするような素晴らしい舞台だった。
舞台の良さは、テレビや映画が二次元の世界なのに対して、
三次元で楽しめることと、時間や空間をより自由に操れることであることを、
改めて理解させてくれる作品だった。

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