「老朋友」マンデラ氏死去と中国の追悼ムード

 南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が死去した。その日、たまたま北京にいたのだが、あまりの騒ぎに驚かされた。習近平国家主席が「中国国民はマンデラ氏の貢献を忘れない」と弔電を打ち、新聞はことごとくマンデラの写真をトップに掲げて、半分ぐらいのページを使ってマンデラ特集を組んでいた。

 確かにマンデラはアフリカの偉大な政治家だが、遠く離れた中国がなぜ国を挙げて「老朋友・曼德拉」(古い友達・マンデラ)に対する追悼ムードに包まれるのか。そこには、中国伝統の「シンパは徹底的に大事にする」という、共産主義運動における統一戦線的な行動原理を見ることができる。

 実際、マンデラは「超」がつくほどの中国シンパだった。それも中国が好きというのではなく、中国共産党が好きだった。

 マンデラが20年を超える獄中生活で愛読したのは「毛沢東選集」。エドガー・スノーの「中国の赤い星」を読んで感激したマンデラは、毛沢東の著作をはじめ、中国共産党の革命に関する書物を読みあさり、アパルトヘイト打倒の戦略を、中国革命の成功から練り上げたと言われている。

 1990年にマンデラが牢獄から解放された直後、アフリカ訪問中だった当時の呉学謙副首相に会ったとき、「私の獄中での精神的支柱は中国だった」と語ったという。1992年には中国を訪問して万里の長城にのぼり、その時の写真は今回の一連のマンデラ報道のなかで各紙に掲載されている。

 その時点では野党指導者の1人に過ぎなかったマンデラに対し、楊尚昆国家主席、江沢民総書記、李鵬首相などが相次いで面会し、アフリカ民族会議(ANC)に1千万米ドルを贈り、北京大学はマンデラに名誉博士号を与えるなど、大国のトップ並みの歓待をした。

 マンデラが大統領に就任した後、南アフリカはそれまで台湾と緊密な外交関係を持っていたにもかかわらず、台湾との断交を強い意志で進め、最終的に1998年に中華人民共和国と国交を樹立した。これは、当時、天安門事件後の外交的苦境が続き、日の出の勢いの李登輝・台湾に押され気味だった中国にとって、「干天の慈雨」とも言える大きなブレークスルーだったと言われている。

 マンデラと中国との「友情」は相思相愛の1つの完結したストーリーかも知れないが、一方で思い浮かぶのは「統一戦線」という言葉である。中国にとっては、中国革命や中国の外交方針に共感的な立場を取ってくれる外国の人物を「友人」として大切にし、その人物の政治的地位がその時点でどうであっても極めて礼儀正しく遇してくれるということだ。

 これはどの国でも多少はそういう部分はあるかも知れないが、中国においてはその「格差」は突出しており、マンデラ死去へのこの大きな反応は、やはりこの統一戦線思想の影響を感じるのである。

 さらに思い浮かぶのは、韓国の朴槿恵大統領と鳩山由紀夫元首相である。

 いま中国の大きな書店に行くと、朴大統領の笑顔を表紙にした著書が数冊並び、テレビでは朴大統領が得意な中国語で挨拶する様子が繰り返し流されていた。鳩山元首相も、首相を辞めた後も中国を繰り返し訪問し、与党・自民党の政治家よりもはるかに高いレベルの歓待を受けている。

 気の早いことではあるが、きっと鳩山元首相や朴大統領が亡くなったときも「老朋友」と呼ばれるに違いない。このあたりは、政治的信念と個人的な利益との間で線を引くことは難しいことも分かるので、一概に問題があるとは言い切れない。ただ、政治や民間を問わず、中国における「歓待」には、過去への「返礼」であると同時に未来への「投資」という意味があることは間違いない。

*国際情報サイト「 フォーサイト 」に執筆したものです。

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