強まる「反中愛港」:香港は「台湾化」に向かうのか

*本文は国際情報サイト「フォーサイト」で発表したものです。

3年後に行われる香港のトップである行政長官を選ぶ選挙制度について、中国の全国人民代表大会は、これまでの「選挙委員会」を通じた間接選挙から、市民による直接選挙を導入することを決めた。ところが、制度上、立候補するには業界団体の代表たち1200人で作る「指名委員会」の過半数の指名が必要とされ、立候補者数も2人ないし3人に限ることになった。この「指名委員会」のメンバーは、中国寄りの人物が多数を占めた「選挙委員会」と同じ構成となるため、民主派の立候補は事実上不可能になる。

 これでは「普通選挙」の名が泣く。この全人代の決定を、香港の議会が拒否することもできるが、その場合は現状の間接選挙のままだ。言ってみれば、進むも地獄、引くも地獄。民主派は「高度な自治の形骸化」と受け止め、激しい反発が広がった。民主派が最後の手段として掲げる金融街の中環(セントラル)をデモ隊が占拠する「占領中環」の実行に傾くことは間違いない。

「高度自治」への冷淡な態度

 1997年の返還から17年。相互交流は深まり、中国は香港にもっと大きな自治の権限を与えることも可能だった。しかし、習近平指導部が選んだのは逆の道だった。6月に行われた模擬「住民投票」や相次ぐデモなどエスカレートする「反中行動」に対して、このままでは香港の制御が効かなくなるとの不安を感じたのだろう。

 今年6月に国務院が発表した白書「香港特別行政区における『一国二制度』の実践」で、すでに今回の決定を予想させる線引きを、中国政府は明確かつ冷淡に示していた。そこにはこう書かれている。

「中華人民共和国は単一制度の国家であり、中央政府が香港特別行政区を含む全地方行政区に対して全面的な管轄権を有する。香港の高度自治とは固有のものではなく、中央の授権が唯一の源だ。香港の高度の自治権は完全な自治ではなく、分権でもなく、中央が地方事務管轄権を授権しているにすぎない」

 しかし、今回の中国の判断は、恐らく香港において多数を占める「中間派」あるいは「穏健派」の人々を、中国からいっそう遠ざける逆効果を生み、「香港の台湾化」が加速するのではないかと筆者は考えている。

「香港民族」という新概念

 いささか乱暴な議論であるのを承知で言えば、「香港の台湾化」とは、強大化して圧力を強める非寛容な中国に対し、できれば中国とうまく付き合いたいと考えている現実派の人々ですら、中国に対するシンパシーを徐々に喪失し、中国・中華アイデンティティが弱まり、台湾(あるいは香港)本土意識を強める、という循環である。

「台湾化」を象徴する出来事として、今年2月、香港大学の学生組織が刊行する「学苑」という学内誌の表紙に「香港民族、命運自決」という衝撃的な見出しが躍った。従来は「中華民族主義」が圧倒的主流だった香港で「香港民族」という新概念が芽生えつつあることを感じさせた。

 台湾の中央研究院台湾史研究所で民主化理論を研究する呉叡人研究員は、最近の香港情勢に対する論評で「香港の民族主義の台頭は北京の国家権力が香港に侵入し、香港の共同体が解体の危機に瀕することへの反発、抵抗、防衛である。世界的にも中央集権国家が辺境地域の利益やアイデンティティを脅かすとき、辺境地域において民族主義の形成が進む事態が起きている」と指摘している。

 現象面で見ても、香港の民主化勢力と、台湾の独立勢力との間では、この数年、明らかに連携が強まっている。台湾と中国とのサービス貿易協定に反対した今春の「ひまわり運動」の最中には香港の民主派は現地に駆けつけ、逆に香港の普通選挙の要望運動でも台湾からの支援が活発に行われている。今回の中国の決定に対して、台湾の独立派政党の台湾団結連盟から「中共は香港の民主化を拒んだ。香港の運命は返還の日に決まっていたのだ。台湾人も中共の本質が分かるはずだ」とのエールが送られた。

「中国アイデンティティ」は少数派

 香港と台湾のアイデンティティの変化でも似た傾向が見られる。

 台湾において、自らを「(中国人ではなく)台湾人である」というアイデンティティで考えている人が年々増加していることは広く知られている。最新の調査では、6-7割が「台湾人である」と考え、残り2-3割はダブルアイデンティティの「台湾人であり、中国人でもある」。「中国人である」と考える人は1割を切った。20年前までは「台湾人である」は最も少ない回答者しかいなかった。

 こうしたアイデンティティの変化に対して、中国は最も頭を悩ませている。中国の台湾統一工作において、最大の敵は米国の武器売却でもなければ、李登輝のような独立勢力の著名人の言論活動でもない。この中国アイデンティティの喪失なのである。このため、中国は「中華民族の絆」を強調することで、なんとか台湾を中国につなぎ止めようと苦心しているのである。

 一方、香港大学の「民意研究計画」によれば、自らを「香港人」と考える人はこの6月、40.2%に達した。2008年には18.1%だったことに比べて、倍以上の増加だ。逆に「中国人」と考える人は2008年の38.6%から19.5%に減っている。「香港人であり、中国人である」が38.7%であることを考えれば、純粋な中国アイデンティティを持つ人は完全に少数派になった。

 経済至上主義の香港世論は基本的に現実的であり、中国との対立を決定的に招くことは回避したいと多数の香港人は考えている。香港の返還後、政界と財界、言論界の「親中派」が形成され、数においては少数だが、中国の後ろ盾を得て、強力な立場を築くことにも成功した。多数の人々は心情的には民主派にシンパシーを感じるが、一方で香港の安定のために中国との付き合いも大事に思うので、現実には「親中派」が主導しながら香港の自治を守っていく「現状維持」を選択していた。だが、もともと「50年」と区切られた香港の自治がかくも脆弱であるという事実に直面し、香港の人々は今後も「現状維持」を選択できるだろうか。

対決か屈服か

 一時的な政治アクションは押さえ込む事ができても、中国が今回のような強硬手段に出れば出るほど、長期的には香港人の心は中国から離れていく。それでも中国がこの方法を選んだということは、習近平の「強硬な相手には強硬に対応する」という対外政策スタンスとも関係して
いる。

 1997年の返還以来、基本的には「ウィン・ウィン」ベースで推移してきた中国政府と香港市民の関係が変質し、今後、「台湾化」が進むほど、対立局面に入っていくリスクが高まるだろう。「香港の台湾化」には、香港内からも懸念の声が上がり始めている。

 香港において左派寄りのスタンスをとっている「亞洲週刊」というニュース雑誌の名物編集長である邱立本氏は、最新号のコラムで、この「香港の台湾化」を「台湾はしか」と呼んで危惧を表明した。

 このところ、中国政府は香港について「愛国愛港(祖国を愛し、香港を愛する)」というスローガンをしきりに強調している。中国革命や大躍進、文化大革命など中国共産党が起こした混乱で大陸から渡ってきた人々が数多く暮らす香港においては、もともと共産党への反感(反共)と中国大陸への郷愁(愛国)の2つの感情が共存してきた。それが香港返還における「高度な自治」の約束への信用を支えてきたとも言える。

 しかし、この1年の議論を見ていると、香港において次第に「反共」が「反中」に、「愛国」が「愛港」に偏執しているように見える。中国からの観光客やビジネス客の粗暴な振る舞い、香港人が買えなくなるほどの粉ミルクの買い占めなどの問題が影響して香港と中国の心理的距離は開き、「反中愛港」の傾向が強まる一方だ。

 中国政府は、香港には中央のさじ加減で調整される限定的民主しか与えられないという決定を下した。しかし、中国語で「リスクのある一手」を意味する「険棋」という言葉があるが、今回の決定はまぎれもなく「険棋」であり、台湾化した香港を生み出してしまう危険性を秘めている。香港人が選ぶのは、対決か屈服か。岐路に立つ香港の情勢は目が離せない時期に入った。

© 2019 Nojima Tsuyoshi