2014/10/29

台湾映画

『共犯』

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 本作の監督である『逆光飛翔(光にふれる)』を撮った張栄吉という監督は、会ってみると、いかにも人の良さそうな台湾人っぽい映画監督のような印象を受けるのだが、撮っている作品を見てみると、実はちょっと意地悪な人ではないかと思わせるところがある。
 この秋に公開された『共犯』という映画を流れるのは、「孤独から脱したい」という人間の原始的で当たり前の欲望と、ちょっとした悪意のアイデアが絡み合うと、当事者たちの予想をはるかにこえるかたちで、物事はとんでもなく悲劇的な方向に進んでいく、ということである。
 もしかすると、この監督の身の回りではこうした事件が起きたことがあるのではないだろうかと想像したくなるほど、本作の面白さはそのリアリティにある。それはやはり学校という誰もが慣れ親しんだ舞台で、誰もが経験のあるいじめや疎外などが描かれているからかも知れない。そのぶん、台湾映画ではあまり見られないミステリーなのだが、謎解きを楽しむ、というよりは、むしろ、登場人物の心理を読み解くほうが楽しい映画である。
 舞台は学校で、主人公は三人の少年たちだ。一人はいじめられっ子、一人は模範生、一人は悪ガキ。その三人が、ある少女の自殺の現場に「偶然」立ち会う。いじめられっ子の主導で、クラスメートの少女の死因に疑問を持った三人の真相にむけた「調査」が始まる。
 映画に流れるテーマは「「無関心」であることは疑いない。少女の死に、誰も無関心な態度を取っていた。奇行が目立つ少女の死に誰もが関心を示さないなか、疎外感を抱いていた三人の少年だけが真実を求めて動き出す。そのなかで本当に心が通わせられる相手を見つけることができたかに思えた、実は、「無関心」から逃げるためにちょっとした「悪意」を抱いた者がが、少女の自殺をきっかけに用意したシナリオに沿って、すべてが動かされていたのである。
 その意味では共犯というタイトルには、三人の少年の共犯関係という意味だけではなく、三人以外の人々が少女の死に対して共犯関係にある、という二重の意味を持っていると思える。
 映画は、少年が湖沼に沈んでいくシーンから幕を開ける。光が水面のなかで万華鏡のようにさまざまな光を放ち、人が死にゆく姿をあくまでも凄惨なものにしようとしないという監督の意思が伝わる。飛び降りした少女の鮮血が雨水に混じって地面をはうように流れるところにも美的センスを感じる。光の使い方の巧みさは『逆光飛翔』よりもさらに磨きがかかっていた。

© 2021 Nojima Tsuyoshi