2015/02/05
先週発売された「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」。ブログやFB、Twitterでつながっている皆さんには、どうして野嶋が映画の本を書いたのか、しっかりと説明しておきたいと思ったので、映画の前書きを全文、このブログに載せてみました(校正前のドキュメンドなので、本の実物とはほんの一部だけ違っています)。ちょっと長いですが、だいたい動機とか背景とか分かりやすくまとめているので、ご一読いただければ嬉しいです。
はじめに
映画は社会を映し出す鏡、ではないかと思う。
本書のタイトルを「認識・TAIWAN・電影」としたのは、「電影」(映画)という鏡に映し出されたものを通して、「TAIWAN」(台湾)という対象を「認識」(知る)することが、本書の狙いだからである。
日本の隣人でありながら、今ひとつ、どんなところか明確な像がつかめない台湾を知りたいなら、まずは映画を見てほしい、と言いたい。それぐらい、台湾映画には、台湾を知るためのヒントが無数に埋まっている。台湾を20年間にわたって見つめてきた私が自信を持って言えることは、台湾社会そのものが、映画の中に、ばっちり鏡のように映し出されているのである。
台湾映画には、この10年で、巨大な変化が起きた。それまでは、ほとんど仮死状態とも言える低迷期にあった台湾の映画界が急激に活気を取り戻し、いわゆる「国片ブーム」が巻き起こったのである。国片とは、自国産の映画のことであり、台湾映画と同義である。
誰も振り向かなかった台湾映画に、突然、台湾の人々が殺到するようになった。明らかに、一つの社会現象だった。そして、何の理由もなく「国片ブーム」が起きたようには思えなかった。
社会現象の背景を考えることは、映画評論ではなく、ジャーナリズムの領域である。しかし、一本や二本の映画だけから、この現象を論じる意味はあまりないように思えた。私はできるだけ、この「国片ブーム」を台湾社会の総体と結びつく大きな変動の一つして捉えたいと考えた。
「国片」ブームは私が台湾に新聞社の特派員として滞在していた2007年から2010年までの時期にちょうど大きな盛り上がりを見せた。あるとき、そのブームのなかで、多くの観客に愛された数々の映画には、一つの特徴があることに気づいた。
それは「台湾」をテーマにしている、ということだった。アプローチはそれぞれ違っているが、制作者たちの表現方向は、どれも手を変え、品をかえた形で、同じように「台湾」に向けられているのである。
台湾の人が台湾に興味を持つことなど、至極当たり前のことだと思われるかも知れないが、台湾においてはいささか事情が違っている。
台湾ではこの20年、「台湾本土化」と呼ばれる状況が続いている。
第二次大戦後の台湾を支配したのは、1949年に共産党に敗れて大陸から撤退した国民党だった。国民党イコール「中華民国」が全中国を代表し、いつか大陸への反攻を実現するというイデオロギーのもと、中国から持ち込まれた制度や教育が台湾でそのまま用いられた。その中では、台湾はあくまでも辺境にある省の一つに過ぎず、台湾自体に敬意が払われることはなかった。
しかし、民主化が進み、政治的な束縛から解き放たれた人々の間に「台湾は台湾、中国は中国」という意識が強まっていくに従って、台湾への情感を自由に表現し、台湾を唯一無二の郷土であると考える方向に変化を遂げてきている。
台湾への「回帰」でもあり、台湾の「再発見」でもあるのだが、台湾の人々は新しく「台湾認識(台湾を知る)」プロセスを歩んでいるのである。
こうした台湾本土化の流れは、1990年代の後半から本格化していたのだが、一方で台湾の映画は、総じて言えば、台湾本土化のトレンドとはいささか切り離された内容が目立っていた。1990年代前半までは、芸術的で哲学的な色彩を強く持つ「台湾ニューシネマ」と呼ばれるジャンルが世界の映画界で驚くほどもてはやされたことで、反作用として、台湾の人々の心情をとらえた作品を発表することが少なくなった。ハリウッド映画の大量進出も重なって、台湾映画は台湾でマーケットをほとんど失ってしまう状態に陥った。
そんな台湾映画の停滞を一気に変えたのが、2008年の「海角七号 君想う、国境の南」の爆発的ヒットであったことは、すでにいろいろなところで語られているが、「国片」ブームはこの一作で始まったわけでも、終わったわけでもない。実際のところは、2005年ごろから優れた作品が次第に発表されるようになり、種火がともされ、「海角七号」で一気に燃え上がった、というほうが適切かもしれない。そして、燃え上がった炎の熱量はいまも衰えを見せておらず、娯楽性と芸術性を兼ね備えた作品が続々と発表されている。
この時期、ちょうど台湾にいあわせた私は、自然と台湾映画を見るために映画館に足を運ぶようになり、やがて、台湾を理解し、分析するための多くの素材が隠されていることに気がついた。できるだけ、多くの映画を見に行った。赴任を終えて日本に戻ったあとは、台湾に旅行や取材で行くたびにDVDを買いこみ、台湾映画の日本上映の機会があればなるべく足を運んだ。振り返ってみれば、その間に見てきた2007年以降の台湾映画は100本を下らないだろう。ヒット作や注目作は漏れもあろうがたいていはカバーしたはずである。
映画の世界は、我々記者がふだん台北で接している世界よりもはるかに広い時空を持ち、過去にも遠方にも運んでくれる。そのなかで提起された内容から問題意識を持ち、その後、深く掘り下げて記事を書くこともしばしばだった。私の台湾理解の半分は映画から来ているといっても過言ではない。
ただ、強調しておきたいのは、本書は、映画の解説書ではなく、映画という窓を通して台湾を覗き込んだジャーナリズムの本であるということだ。つまり「映画論」ではなく、「台湾論」であり、台湾映画によって、台湾という対象を深く広く、生き生きと理解する方法を提示するところにその出版の意義を求めたいと考えている。台湾映画をより体系的、学術的に取り扱った日本語の先行研究には「新編 台湾映画」(2014、晃洋書房)、「台湾映画表象の現在」(2011、あるむ)、「台湾映画」(2008、晃洋書房)、「台湾映画のすべて」(2006、丸善ブックス)などの良著があるので参考にしてほしい。「台湾映画」という定期刊行物も関係者の努力で年に一度、東洋思想研究
所から発行されている。
本書で紹介する映画は2007年から2014年に限ることにした。その以前にも優れた映画はあったが、「国片ブーム」のなかで、私が同時代的に体験し、鑑賞した映画を中心に論じていくことをルールとしている。
各章では、「日台」や「外省人」、「格差」など、それぞれのテーマと合致する映画を複数紹介しつつ、映画のなかから見いだせる台湾社会のトレンドや現実を描いたうえで、その映画に関係する監督など映画人のインタビューを合わせて掲載した。インタビューの時期の幅が数年間に渡っていたので、時期も明記している。インタビューは各章の内容に対応した10人分を掲載しているが、実際はこの倍以上の方にインタビューに応じていただき、そのなかには大変興味深い内容もあったのだが、構成との整合性や紙幅の関係から掲載を見送らせていただいた。
台湾映画レビューの部分では、日本の読者にも一見の価値ありと推薦する意義があると思えるものを挙げた。ただ、前段の各章で紹介したものでレビューを書いても内容が重複すると判断したものについては、映画データのみを載せている。日本公開を経るなどして日本語版が出ていないものも含まれるが、その点はあまり考慮しなかった。いい作品はいずれ日本に来るはずだからだ。映画のタイトルは、日本で公開されたものは邦題を主として初出のみ原題をつけ、日本未公開のものは原題を主として初出のみ英題をつけている。僭越ながら、星の数によって映画に対する私の評価もつけているが、一ファンの見解程度に捉えてほしい。「面白い」「感動した」「笑える」「泣ける」「勉強になった」といった、単純な感想をできるだけ大切にしたつもりである。
監督、俳優らの名前の表記については、大変悩ましい問題なのだが、基本的に日本の漢字を使った。それは、中国や台湾、香港の人々の名前を書くときには日本に漢字があるわけだから、漢字を使うべきだという私の信念に基づくものでもある。ただ、エンターテイメントではカタカナ表記が主流であるので、すでに日本でカタカナ表記で紹介されたことがある人については初出のときのみ、「侯孝賢(ホウ・シャオシエン)」のように書き、二度目以降は漢字のみとしている。