同僚で後輩の元朝日新聞北京特派員の峯村健司記者が書いた『十三億分の一の男』(小学館)を読了した。読みながら禁じ得なかったのは「敗北感」だった。私は中国共産党政治を専門にやっているジャーナリストというわけではないが、それに関する記事を書かないわけではない。本書を読み進めると、ああ、この記者はこの領域で私が到底届かないところにたどり着いていることが一読して分かる。私だけでなく、多くの同業者にそうした敗北感を抱かせる書物である。
 中国の最高指導者の一人娘にハーバードで直撃取材を試みた光景から本書は始まる。留学先をつきとめ、卒業式の出席の日取りを確認すること自体に、情報収集力の異常な高さが示される。峯村記者が確保している信頼に足る深いニュースソースは、本書から推測する限り、おそらく10を超えている。普通は2とか3の筋があれば立派なものだ。1つのソースを開拓するだけでも大変なのに、これだけ開拓するのは、深酒、お世話、贈り物などを丹念に積み重ねる血を流す努力もあったはずだ。
 それだけの情報源があるからこそ、次々と世界を震撼させたスクープを連発できたのだろう。過去の記事のなかで私が最も驚いたのは、胡錦濤の完全引退を党大会直前にすっぱ抜いた2012年のスクープだった。その価値はもちろん永田町や霞ヶ関の人事とは比べ物にならない。その裏話が本書で明かされていた。本書ではほかの箇所も含め、それぞれの話がどの程度のインパクトのあるインテリジェンスであるのかはあえて明確にされていないが、読む人が読めば赤線を引きたくなる箇所が満載である。
 同時に、この3年ほどの間、つまり習近平の登場以来、中国における政治的な事件のすべてが記述を通して再勉強できることが大きな価値がある。薄熙來の失脚、周永康の逮捕、日中関係の悪化、習近平の登場と権力掌握、江沢民の権力の弱体化など、一連の事件について、改めて頭の整理ができるうえに詳しい背景まで一緒に理解できるのだからありがたい。
 新聞記者はいま深刻な問題に直面している。それは世の中が、ありていにいえば、新聞記者の書いた記事に注意を払わなくなっているのである。峯村記者の知名度は、ボーン上田賞を取ったり、何度も世界的なスクープを飛ばしたのにもかかわらず、日本国内では新聞業界以外に意外なほどに浸透していない。それは新聞というメディアの影響力の低下があるからだ。
 そんななかでは、これから記者は取材の成果をこうして一冊の本にまとめて出版をすることで、出版業界や、そこから派生してネット、テレビなどに拡散させていかなくてはならない。ところが、昔は「記者は本をかいてなんぼ」と教わったが、最近は会社のなかで記者が社外で本を書くことをあまり奨励しないような雰囲気や制度ができてしまったため、本を出す人は昔に比べて明らかに減っている。そんなところから考えても、峯村記者が本書を完成させた意義は大きいと思っている。
 新聞記者の日々の仕事は「点」の仕事である。その点を拾い集めて、再構成し、面に仕立てていくのが本を書くことだ。「点」だけではせっかくの知識が統合されないで終わってしまう。峯村記者の膨大な努力が本書で一つの巨大な「面」になり、後世に残っていくことになったのは一読者としても有り難い。
 この「面」をさらに建造物のように立体化させていくには、中国の近現代史という縦軸を通したり、共産党の指導体制の根源にある統治思想を織り込むなどの作業が今後必要になってくるが、峯村記者ならばやすやすとそのステップも今後乗り越えていってしまうに違いない。

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