2015/07/02

沖縄

 


 アエラで沖縄の記事を書くことが増えて、沖縄に関する本をこのところ30冊ぐらいは読んでいる。だいぶ本棚を埋めるようになってきた。新しい本もどんどん出ている。メモとして記録しておく意味も込めて、読んだ本の感想を断続的に書いていこうと思う。台湾や香港、シンガポールなど大国・帝国の周縁的な世界に生きる人々のことを学んできた身としては、沖縄問題に適用できることがたくさんあるし、沖縄問題からさらに学べることがたくさんあると感じているところです。

矢部宏治「戦争をしない国 明仁天皇メッセージ」(小学館)

 久々に、一気にばっと読み終えた本になった。この本は平和がテーマでサイパンやパラオ、広島、福島なども紹介しれいるが、その中心は沖縄に据えられている。
 「沖縄」という戦後日本最大の問題で、かつ巨大な矛盾に、生涯をかけて向き合ってきたのが明仁天皇だということを、はたしてどれくらの日本人が知っているでしょうか。
 そう著者は問いかける。はい、実はあまりよく知りませんでした。
 ただ、前々から1975年の皇太子時代に沖縄を美智子妃と沖縄海洋博出席のため、沖縄を訪問したとき、火炎瓶を投げられたことは気にかかっていた。どんな気持ちだったのか。どんな対応やコメントをしたのか。いつか調べたいと思っていたが、本書にきちんと書いてあった。
 天皇は訪問直前には「石ぐらい投げられてもいい。そうしたことに恐れず、県民のなかに入っていきたい」と語っていたという。実際に投げられたのは、火炎瓶だった。煙まみれになれながらも、明仁皇太子はそのままスケジュールを変えずに慰霊の旅を続け、その日の夜にこんな談話を発表している。
 「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものでなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省のなかにあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません
 その後、天皇は今日まで10回に渡って、沖縄を訪れた。
 一連のことからはっきり分かるのは、明仁天皇が、沖縄に対して、非常に強い責任感と罪悪感(この言葉が適切かどうかは自信ないが)を抱いている、ということだ。だから、この本で何度も紹介されている明仁天皇の沖縄に対する言葉は、どれもやけに深く突き刺さる。
 1996年の誕生日会見では、こんな発言も行っている。「沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております
 これは普天間をめぐる返還問題について、天皇は間接的だがギリギリの形で言及したものだろう。
 著者である矢部宏治氏は「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」を書いた人。
 本書では、明仁天皇の言葉を抽出し、平和の問題と絡めて論じた本書の着眼点に敬服する。
 特に以下の指摘はずっと心に刻みたい。
 「沖縄の問題に一度でもきちんとふれると、その人の政治を理解する力《リテラシー》が飛躍的にアップします。それは本土では厳重に隠されている「身もふたもない真実」が、沖縄では日常生活のなかで、誰の目にも見える形で展開されているからです
 思わず、そうそう、そうなんだ、と手を打ちたくなった。
 例えば、台湾でも、本来はどんな条件をみても国であっていいはずなのに、その帰属する政治体制が「国家」として認められない状況を台湾の人々が強いられている不条理を、少なくとも台湾に関わっている人はすべて知っていなければならないのと同じように、沖縄には歴史的かつ政治的な不条理がまぎれもなく存在していることは、日本国民であるなら、辺野古移設に賛成でも反対でも、沖縄メディアが好きでも嫌いでも、その点だけは忘れるべきではない。
 そのことを明仁天皇の言葉が教えてくれる。
 

 

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