台湾ドキュメンタリー映画「天空からの招待状(看見台灣)」を撮った斉柏林(チー・ボーリン)監督が、看見台灣の第二作のクランクインに入ってすぐの昨日、ヘリ墜落で亡くなりました。すべてヘリ空撮で撮ったドキュメンタリー作品を、一般興行で大ヒットさせる離れわざを演じました。この映画自体が、台湾アイデンティティの主流化現象が映画において表現された最高の具体例だったと思います。今後の作品がもっとも期待された台湾の新世代映画監督の一人でした。大変悲しく、そして、大きな損失です。日本上映の際、インタビューさせてもらい、拙著「電影・TAIWAN・認識 映画で知る台湾」に収録したインタビューを、追悼の意味をこめて、かなり長くなりますが、全文、以下に掲載させてもらいます。
斉柏林監督(野嶋撮影)

「天空の招待状」(原題「看見台湾」):斉柏林(チー・ボーリン)監督インタビュー(2014.11)

斉柏林 昨日は福岡アジア映画祭に出席し、レッドカーペットを歩いてから、今日、東京に来ました。福岡では蔡明亮監督とも一緒でしたね。明日、また福岡に戻ります。
野嶋 お忙しいですね。ところで監督はこの映画を撮ろうと決めたとき、まだ公務員だったのですね。あと数年で退職金が入ってきたのに辞めてしまい、映画の撮影を始めたと。ご家族の反対もあったのではないですか。
 確かに、あと2〜3年で退職金が満額もらえる年齢でした。でも、家族は反対はしませんでした。私は、一度決めたことを変えない性格だと知っているからです。事前にも相談はしませんでした。でも、母親は非常にナーバスになりました。家の名義が母親のもので、借金の担保に入れましたので(笑)。父は理解を示してくれました。この子は大きくなるなかで家族に一度も迷惑をかけたことがない子だったと言って、母を説得してくれました。ただ、息子だけ「ぼく、大学に行くお金あるの?」と心配そうでしたが(笑)。
野嶋 最初から全編空撮で撮ろうと決めていたのでしょうか。
 私は一度も映画を撮ったことがありませんでした。ドキュメンタリーもフィクションも。最初はそれほど難しくはないだろうと甘く見ていたのですが、実際に撮り始めたところ、最初の一年で撮った映像はほとんど使い物にならなかったのです。カメラワークの技術がまだ十分ではなく、映画撮影に対する理解もまだ不十分でした。私は写真撮影の技術は持っていたのですが、一枚の写真に対して、自分で後から多くの説明やストーリーを書き込むことができます。しかし、映像は違います。映像によって語らせなければなりません。ですから、写真と映像は構図自体は同じでも、手法が全く違うのです。
野嶋 手痛い教訓を得た形ですね。
 一つの経験を積んでいくプロセスと考えることにしました。台湾において過去、空撮のプロフェッショナルは一人もいませんでした。私に教えられる人はいません。非常に孤独でした。問題にぶつかってもどう解決すればいいか分からない。自分で経験を積むしかなかったのです。
野嶋 使われたのは非常に特殊なカメラだそうですね。
 軍用を商業用に転用したもので、購入するには米国の国務院に申請を出さないとならない。半年ぐらいかけて批准されます。値段は70万米ドルと大変高価でした。日本に代理店があったのですが、日本での価格は米国よりはるかに高く、節約のため、米国で買うことを特別に認めてもらいました。
野嶋 この映画は、台湾の「美」を撮ったものなのか、台湾の「醜」を撮ったものなのか、監督の狙いはどちらに置かれていたのでしょうか。
 その指摘は非常に大事なポイントです。私は最初、環境問題を主題に撮ろうとしました。台湾は自然災害や人為的な開発による環境破壊で、どんどん醜くくなっていたからです。しかし、台湾の人々はあまり興味がなかった。過去、私は大学なので講義をするとき、「台湾の自然は守られるべきだ、環境破壊を止めたい」と語りましたが、半分の学生は眠っていました。挫折感を味わいました。ですから、いっそのこと自分でドキュメンタリーを撮ろうと考えました。撮影のとき、確かに私は憤怒の気持ちで胸が一杯でした。なぜ台湾の環境が私たちの世代によってこれほどひどい目に遭うのかとか。ですから、私にはこの映画で台湾が受けた「傷」を告発したいという強い想いがあったのです。
 ところが、上映前に多くの映画界の先輩方や知人に見てもらったところ、「重すぎる」「気分が暗くなる」「衝撃的すぎる」という意見ばかりでした。彼らは「本当に観客に観に来てほしいなら、希望を与えないといけない」とアドバイスしてくれました。確かに観に来てもらえないと、伝えたいことも伝わらない。ですから、告発の部分を減らすことにしました。
野嶋 最初のバージョンでは環境汚染の部分の比率はどのぐらいだったのですか。

 だいたい8対2です。8がネガティブなものでした。その後、だいたい半分半分に調整したのです。美しい台湾を見ると、人々は誇りに思います。傷跡を見れば悲しくなる。観客に、その対比から強い感情を引き起こすことができました。すべて美しい映像だけでも観客は寝てしまう。破壊の映像だけだと観に来ません。いまなら、この問題に取り組めば美しい自然を取り戻せるという希望を観衆に持ってもらうようにしたのです。

野嶋 少数民族の子供たちが、台湾で最も高い山である玉山の山頂に登って歌うところは感動的でした。
 あのシーンは風が強くてヘリがなかなか近づけず、撮影時間が短時間しかなくて本当に大変でした。
野嶋 この映画、ほとんどは自然の風景を撮っているのですが、このシーンはアレンジしたものですね。
 映画のなかでいくつかアレンジしたものがあります。一つは巨大な足跡、それから二人の農夫が登場するシーン、そして、玉山の子供たちです。当時、私は彼ら先住民族の子供たちのことをテレビの広告から知りました。先住民族は台湾で非常に小さなグループです。彼らの子供たちは通常、中学校を出たところで両親と一緒に働かなくてはならないので、学歴が低く、社会的地位の向上が難しい。非常に残念なことです。ある知り合いの校長先生がまず子供たちに自信をつけてもらおう、周囲の差別の視線に負けない強さを持ってもらいたいということで、歌を歌わせることおにしたのです。彼らは小さなころから歌うことが多く、才能もあります。合唱団をつくって各地で歌ってくれているのです。そして、彼らはブヌン族なのですが、ブヌンは自分たちを玉山の民だと考えているので、玉山に上ってもらうように校長先生にお願いしたところ、すぐにOKしてくれました。
野嶋 監督は本作がここまでのヒットになると思っていましたか?
 この作品を撮る時、私はきっとそんなに売れないだろうと思い込んでいました。売れない映画には資金が集まらない。ですから企業に頼みにいっても、いつもこう聞かれるのです。「あなたのビジネスモデルは何ですか」と。どうやって資金を回収するのか?あなたの映画を見に来る観客はどんな人々ですか?どの質問にも、私は答えられません。だって初めての映画なのですから。多くのドキュメンタリー映画は、極端に言えば、「今日撮り終わって、明日上映し、あさってには上演終了」という状態でした。最初にこの映画の配給会社は、興行収入が「800万台湾ドル」と予想していたぐらいです。
野嶋 そんなに低く見られていたのですね。
 はい、9000万台湾ドルをかけて撮影したものが800万台湾ドルにしかならないと言われたのですが、私はそうは思わなかった。広告費を出してくださいと言われても断りました。そんな資金はありません。メディア向けの上映会を何度も開いて、テレビや雑誌、新聞で話題にすることで映画を宣伝しようと思いました。すると、記者のみんなが目を見開いて言葉を失っていました。こうした環境汚染の問題が起きていることは薄々知ってはいましたが、現実にここまでひどいとは思ってなかったのでしょう。彼らは、非常に協力的に報道してくれてたのです。過去にはそんな高い場所から自分の生まれ育った場所を眺めるチャンスがなかったので、特別に感動してくれたのだと思います。
野嶋 映画で取り上げた環境破壊の問題や違法建築の問題は、後々大きな社会問題になったことも、この映画の特別なところですね。
 この作品が結果的に持った影響力は私の予想をはるかに上回るものでした。観客は、環境問題に対処するよう政府に強く求めました。過去には、民衆が何か問題を告発しても、企業などは立法委員に頼んでうやむやにしてもらったりして、結局何の解決にもなりませんでした。しかし、それがこの映画のために、多くの企業が対応を余儀なくされました。
 高雄市長の陳菊さんが私にこんな話をしてくれたことがあります。映画の撮影に協力してくれたお礼にあいさつに行ったところ、「どうしてiPhone6がまだ発売されていないか知っていますか」と言うのです。というのも、私の映画で取り上げた、河を真っ赤に汚染している企業は日月光という会社で、世界最大の半導体製造会社でもありiPhoneの非常に重要なパーツの供給を行っていました。陳菊市長は厳しい対応を取り、日月光は一時的に操業停止を余儀なくされ、結果的にiPhoneの生産が遅れてしまったというのです。
野嶋 企業や政治家から脅迫や批判はなかったのでしょうか?
 台湾人は自ら反省することができる民族です。私の作品が社会的反響を呼んでいる時、多くの人から「ボディーガードをつけたほうがいい」とアドバイスされました。私の取り上げた問題は、多くの人々の利益を損ねるからです。しかし、私は台湾では私の身に危険が及ぶことは起きないと信じていました。政府もまた率直に問題点を認めて対応してくれました。この映画は政府にとっても過去の対応を批判する内容になります。しかし、馬英九総統がこの映画の上映会に参加してくれたとき、「いろいろ苦労をおかけしてしまって申し訳ない」と言ったところ、「そんなことはありません、むしろ感謝しています。政府が過去に処理できない問題を、民意をバックに対応できるようになって有り難い」と言ってくれたのには大変感激させられました。
野嶋 環境問題はますます重要になっていますが、90年代にこのことに気づいていればもっと良かったとは思いませんか。
 環境破壊と経済発展は不可分に結びついています。30年前の台湾はみんな貧乏で、三食の食事もままならず、空腹を抱えたまま環境をもっと大切にしろという主張が共感を得られるでしょうか。魚がいなくなって、魚の大切さを知るのが人間です。発展には対価を払わなければならないことは、対価を払ってから気づくものなのですね。台湾人は反省から逃げない人々です。まだ遅くはありません。環境重視の社会に立ち返る時なのです。

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