2017/06/15
ジュエリーについて独創的な取り組みをしているシンコーストゥディオの代表で知り合いの米井亜紀子さんから誘っていただき、先日、柄にもなく、銀座のギャラリーを借りてやっていた西林佳寿子さん(写真真ん中のひと)というドイツ在住の方の創作ジュエリーの展示を見に行った。
ジュエリーにはそんなに縁のない人生ではあったが、この10年、故宮をたくさん取材したことで、あれこれ宝飾類を見てきたためか、「美」に対して、人間はなぜ、コスト以上の代価を払おうとするのかに興味を持っている。が、なんとなくわかってきたのは、人間は他者の精神が具現化されたものには本能的に高い価値を感じる、ということである。もっとシンプルにいうと、宝飾品にせよ、絵画にせよ、見ていてると、いいものからは自然と作者の「力」が伝わってくる。
最近では草間彌生の展覧会に六本木に見に行ったときもそうだった。故宮の文物のなかにも、時々そんなことがある。名作と言われるものにも感じないときもあるし、無名の陶工の作品に感じるときもある。アートか工芸か宝飾かというのは本質的な違いではなく、作品に作者の精神がこもるかどうかが大事なのだ。
西林さんのつくったリングやブローチなどの品々をみていて、そんな作者の「力」を感じるところ多々あった。驚いたのは、そのユニークなデザインで、単純ゆえにスキがない魅力を感じる。銀やチタンの平たくて薄い素材を、折り紙のようにくるくると巻き込んで造形されているそのジュエリーは、和のなかに洋があり、洋のなかに和がある。机のはじっこやテーブルにおいておいてもまた、気分が楽しくなるに違いない。シンプルな造形ゆえに、周囲の風景と対立しないようなところがある。西林さんには、日本人的な「折り目の正しさ」「シンプルで清潔」などの価値観を、チタニウムなどの金属的な素材を板を折り曲げたり、交差させたりすることで、表現しようという強い本人の意思を感じる。
それが作品に「力」がある所以だろうか。
米井さんによれば、江戸〜明治になけての日本の金工の仕事は、まさに金属の色や質感を徹底的に追求したもので、いまの世界的なコンテンポラリー・ジュエリーの風潮がどこかジャポニズム的で、彼女の作品が、ヨーロッパで受け入れられるのも納得がいくという。
それにしても、ギャラリーでジュエリーを見るのはなかなか新鮮だった。ジュエリーといえばデパートや専門店に売られていると思いがちだが、ジュエリーがギャラリーで売られていても、まったくかまわないのである。作り手の話も聞けるし、自信作をまとめて見られるとこともいい。