2018/05/04

自転車

 

RE Camera

この日は朝から雨。しかも梨花嶺へのヒルクライム(標高500M、8キロ)があった。平坦な道が多かったので、自称坂バカとしては初めて思い切りペダルを踏めた気分になった。斜度も距離も、なかなかの坂だった。しかし、その後、途中で大雨に見舞われたこと、路面状態がよくなくてパンクが続発したこと、これも雨が原因でもあって途中で数名の参加者が運悪くルートから外れてしまって迎えに行くのに時間がかったこと、などなどいくつかの不運も重なり、半分ほど走って打ち切りになりバスでホテルへ。これまでいろいろなライドイベントに参加してきたけれど、一日の途中で中止となるのは、初めてのことなった。これも得難い貴重な体験。

ところで、韓国を自転車で走っていると、あちこちに詩の碑文があることに気づいた。いまの韓国はどこの標識を見ても全部ハングルで、英語の表記もあまり付けていないので、ハングルがわからなければまったくなんのことかわからず、たまに地名のところに漢字が添えてあるぐらいしか漢字にお目にかかれないのだが、詩の碑文だけはどうどうと「これは漢字でございます」というように自己主張しながらそそり立っている。


韓国では、詩を大切にする伝統があると聞いていた。詩人は尊敬されるらしい。文字表現のなかで詩がいちばん重要で難しく、高いレベルの表現であると認められているからだという。何かあったら、韓国の文化人は詩で表現するという伝統もあったという。それがいまの世の中でどのぐらい引き継がれているのかは私は知らないけれど、あちこちで見かける碑文から感じるのは、詩に対する強いこだわりであった。
詩というのは、基本、読み上げることをもって意味を持つところがある。そういう意味でいうと、ハングルを表記文字としては使っていても、詩にして読むときは、それほど苦労はしないのかもしれない。
詩に対するこだわりというのは、明らかに中華文化の影響を受けているのは間違いない。中国の文人にとっても、詩がいちばん高等な表現とされてきた。即興で詩を詠めることが知識人の基本だった。いい詩をつくれればそれだけで尊敬されて、いい仕事につくこともできたし、出世にもつながった。
そういうことも近代以前の朝鮮半島ではあったのだろうか。中国でも詩というのは声をあげて読むことと、同時に、書によって書くことも意味があった。どちらも詩想の表現なのだが、いまの韓国でも、よく詩の朗読会などが開かれているようだから、読む方の伝統は受けついでいるのかもしれない。
それと道中よく見かけたのが「書院」である。書院というのは朝鮮半島で在野の知的拠点のような場所で、儒学などを文人たちが教えて官の世界でも活躍する人材を育てたところだ。韓国には五大書院というものがあって、こうした書院をまとめて世界遺産に申請したというニュースもあるぐらい(http://japanese.joins.com/article/641/231641.html)、書院は朝鮮文化の基本となっているようなところだ。

  

 

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見かけた書院のなかで一番立派だったのが大邸近くにある道東書院。ここは、五代書院の一つで、世界遺産の申請リストにも入っていた。1568年に「東方道学之宗」になるという目的をもって創建された。李氏朝鮮にとって儒教は国家の基本となる理念であったが、閔妃と対立した大院君の時代に、書院の廃止令によって朝鮮全土で書院がことごとく廃止されたが、ここは現地の人々の努力で保存されたという。
韓国では、いまのところ、気づいていないだけかもしれないけれど、あまり大型の寺院はみかけない。自転車で走っているのが中部や南部だからかもしれない。東部では仏教が比較的盛んだとも聞く。キリスト教の建物が結構多い。韓国の人口の3分の1や4分の1がキリスト教の信仰を持っているという。ライドの途中、カトリック創建の地にも訪れた。

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© 2018 Nojima Tsuyoshi