2020/07/14

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すぐれた批評は、書いている著者が気づかないこと、著者が概念化できなかったことまでも、教えてくれるものだ。評論家の篠原章さんが拙著『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』について、「批評.COM」で書評を書いてくださった。

この書評のなかにはこうした一文がある。
「野嶋氏のこの著作を読むと、台湾の人びとは「国家・政府のあり方」について、日本人よりもはるかに経験と熟慮を重ねてきたように思える。それはおそらくSARSの経験だけに培われたものではなく、「国家としての台湾」の曖昧な位置づけに対する反発と、国際社会での生き残りのための知恵も反映されているはずだ。とりわけ台湾の指導者層の国家の役割や民主主義に対する認識と洞察には、我々の想像の域を超えた力が備わっている可能性が高いと思う。」

ほかにも、公衆衛生や防疫の人々と、感染症畑の人々とでは、ウイルスの拡大に対する「悪」の認定において、その専門性からくる本質的な違いがあることも見抜いて書いてもらっている。
いずれも、私が、本来明確に記しておくべきだった言葉であるが、本書の執筆のなかで概念化できなかった反省も込めて、篠原さんには深くお礼を申し上げたい。

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