2025/05/25

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高雄での仕事の合間に、「青バット」大下弘が高雄で暮らしていた家を探してみたところ、だいたいこのあたりと特定できた。鹽埕區新樂街の路地裏である。お母さんのやっていた居酒屋兼自宅「田吾作」がここにあったと思われる。当時は高雄川と呼ばれた愛河の西側のほとりで賑わっていた歓楽街で、戦後日本プロ野球界の最大の人気者の打棒が磨かれた。大下弘は高雄商業の4番エースとして三度嘉義農林に挑み、いずれも惜しいところで敗れて甲子園には届かなかった。戦後の活躍についてはいうまでもないが、台湾との縁は掘り下げられていない。調べたところ、亡くなる最後の夜に食べたいといった「豚足」は台湾で大好きになった味だったという。1972年の日台断交の後に日本人が一気に中国に擦り寄って台湾に冷たくなると「人間としていかがなものか」(鈴木明とのインタビューで)と本気で怒っているなど、最後まで台湾の友人であることを貫いた人だった。愛河の湖畔がどんどん整備されて気持ちよく散歩できて、高雄いい感じでした。

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