2025/06/12

未分類

南方朔走了。2007年,我作為朝日新聞記者被派往台灣,當時我算是菜鳥,需要了解台灣政治。在此期間,有幾個人成為我的導師。媒體人裡面,有司馬文武和南方朔這兩位。他們都是《新新聞》的創刊成員,通過他們,我也結識了已故作家陳柔縉。幾乎每個月,我都會在福華飯店的餐廳邊吃午餐,邊聽他的分析。我沒東西給他提供,對我來說是一種台灣政治上課。南方朔說話總是直奔主題,通俗易懂,含義深刻,我把筆記抄下來,回家自己讀一遍,不明白的地方下次見時再問。他說話直截了當,面對一個無知的外國人,也從不厭煩地一直回答提問。幾年前,我想見他表達我的感謝,但由於他身體不適,未能成行。對此我感到非常非常遺憾。我向他致以感謝和哀悼。

南方朔が亡くなった。2007年に台湾に朝日新聞記者として赴任したときの私は台湾政治は素人同然で、勉強に必死だった。そのなかで導師となってくれた人が数人かいた。メディア関係者は司馬文武、そして南方朔である。二人とも新新聞の創刊メンバーで、この二人を通して、亡くなった作家の陳柔縉とも友人になった。南方朔とは、ほぼ毎月、福華飯店のレストランのランチを予約し、2時間、3時間と話を聞かせてもらった。私から彼に与える情報はほとんどない。すべてが一方通行の情報提供で、台湾政治の授業に等しかった。南方朔の話はいつも結論から話すので分かりやすく、含蓄があり、いつもメモをとったものを自分で読み直してわからないところを調べ直してまた会ってから質問した。ぶっきらぼうだけど、無知な外国人の質問にも面倒くさがらずに長い時間答え続けてくれた。数年前、御礼を言うために会おうとしたら体調不良のため実現しなかった。本当に残念である。感謝と哀悼を捧げたい。

© 2025 Nojima Tsuyoshi