2011/07/19

台湾

中国と東南アジアが、南沙諸島(スプラトリー)をめぐって、緊張を高めています。
ちょっと大きな原稿を書くつもりでいろいろ調べていたら、
台湾(中華民国)では、南沙諸島は「高雄市旗津区」で819という郵便番号まであるんですね。
台湾は実際に南沙諸島の領有権を主張しているし、南沙諸島でいちばん大きい「大平島」を実効支配していて、飛行場も作っています。手紙書けば、届くってことですね。
このことから、南沙諸島の歴史について、いろいろ考えてみました。

そもそも南沙諸島は、国際法上は「無主の地」(誰も領有権を主張していない土地のこと)でした。
ただ、中国はこの立場は取っておらず、歴史文書にいくつか記載があることを理由に、
「歴史的に中国の領土である」との立場を取っています。尖閣と同じですね。
実際最初に行動に移したのは、ベトナムを植民地にしたフランスで、いくつかの島を占有していたのが1930年代です。
これに対し、石油資源の獲得のために南方進出を狙っていた日本はフランスを追い出し、南沙諸島を新南群島と命名し、1938年に当時日本領だった台湾の高雄市に編入しました。
日本が敗戦し、南沙諸島を日本から引き渡されたのは、蒋介石の中華民国国民政府でした。
軍艦4隻を派遣して島々を接収した上、島で接収式典を行って主権を示す石碑も建てました。

ここからややこしくなるのですが、
蒋介石は毛沢東の共産党に内戦で負けてしまって、台湾に撤退します。1949年のことです。
そのあと、1951年のサンフランシスコ条約で、日本は正式に台湾や南沙諸島の放棄を表明。
しかし、中華人民共和国か中華民国かあるいはベトナムなどか、帰属先は明確にしなかったため、
国際法上は基本的に南沙諸島の地位は未確定のままだとも言えます。
その意味では、大変微妙な台湾とも同じ戦後処理上の地位問題をはらんでいるわけです。
昔、そのことに直接触れて大騒ぎを起こした
お互いに好きなように主張して、島々をひとつでも多く実効支配することに血道を上げ、
現在の本当に複雑きわまりない状況になっているのです。

この件は今後、フォーサイトなどでまとまった記事を書きたいと思いますが、
台湾高雄市旗津区という地名(美味しい海鮮料理で有名な一角。よく行きました)を南沙諸島が持っているという意外な事実から、
日本統治の歴史、日本の敗戦、中国の分裂、戦後処理などの歴史が浮かび上がってきて、
なかなか面白い切り口になると感じました。

© 2021 Nojima Tsuyoshi