2011/11/18

台湾

台湾の黄昭堂さんが亡くなった。

台湾独立建国連盟の主席で、戦後の台湾と日本との関係を象徴する一人だった。大動脈乖離のため、台北市内の病院で息を引き取った。79歳だった。

1958年に日本に渡って東大で博士号を取得した。蒋介石・国民党政権の強権政治に反発して日本での独立運動に参加した。それで政治犯とされて、1992年まで台湾に戻ることができなかった。日本では、いくつかの大学で教えていたので、授業を受けたことがある人も少なくないだろう。
台湾帰国後は独立運動の指導者として大活躍し、李登輝元総統とは非常に親しく、陳水扁前総統のときも国策顧問を務めて、台湾の独立派と民進党をつなぐパイプ役でもあった。

黄さんのすごさは、こうした経歴だけでは書き尽くせないその人柄にある。
台湾の激しい政治運動のなかではどうしても他人の恨みを買いやすくて、誰からも嫌われていない人は本当に数少ない。黄さんはその一人で、黄さんを悪く言う人に台湾でも日本でも会ったことがない。
きっと多くの方が感じていることだろうが、他者に対して限りない包容力のある人だった。

黄さんは私が2007年に台北特派員になるちょっと前に知り合い、特派員になった後は毎月のように会ってきた。会いに行くと、100キロを超えるような巨体を揺らして笑顔で「よくきたな」と歓迎してくれて、台湾政治の裏話や日本での独立運動の昔話を聞かせてくださった。

台湾を2010年に離れて1年ほどお会いする機会がなかったが、
知り合いを通じて、「今度台湾に来くるなら必ず会いに来なさい」と言っていただいた。
それで今年9月、台湾に取材で行ったときに林森北路の「梅子餐廳」で夕食をご一緒した。
いつもウイスキーを持ち込んで、ぐいぐい飲む酒豪だったが、
このときは「ちょっと医者から止められているんだ。最近体が調子がよくない」と言って酒を控えていたので、少し心配していたのだが・・・
このとき私が最近出した著書の「ふたつの故宮博物院」を黄さんにお渡しした。
今度お会いするときには感想を聞かせて下さいとお願いしていたが、かなわなかった。

昨夜、書棚にあった黄さんの名著「台湾総督府」を手に取ったら、涙が止まらなくなった。
もう一度お会いしたかった。さようなら、黄さん。

© 2024 Nojima Tsuyoshi