「城管」の市民への暴力事件について、中国のニュースで騒がれることが多い。いま、中国社会で一番の嫌われ者は、おそらく城管ではないだろうか。

 城管は日本人には耳慣れない言葉だが、中国人は子供でも知っている。大通りの歩道で海賊版のDVDや衣類を売っている露天商の人たちが、突然「城管来了!」と叫んだかと思うと、あっという間に撤収していく姿は、中国の風物詩のようになっている。

 先日、中国陝西省の延安市で、市の城管が市民を殴る蹴るの様子が通行人のスマホで撮影され、中国版ツイッター「微博」で散布されて大騒ぎになった。その後、延安市は骨折などの大けがを負った市民に謝罪し、治療費と賠償金を払うことを表明した。

 城管の暴力行為に対して、最近生まれた流行語が「与群衆打成一片」という言葉だ。本来は共産党の政治的スローガンで、「共産党幹部や政府の官僚は一般の人民(群衆)と距離をなくし、一体となって親しくなろう」という意味である。ところが、城管問題では「(城管は)よってたかって人民をぼこぼこに殴る」というような意味に変えて解釈し、城管の暴力問題を揶揄するようになった。中国人の言語センスにはいつも脱帽する。

 城管は「都市(城市)管理」の略語で、各都市で秩序の維持管理を行なうところだ。警察である公安や人民解放軍と違って、逮捕権はなく、銃器の所有は許可されていないが、ヘルメットや防刃チョッキを身につけ、違法な商売をやっている露天商がいたり、問題行動を起こしている市民を見つけたりすると、城管がやってきて排除し、罰金を科すこともできる。

 日本で言えば、路上駐車の罰金を取る指導員のような立場にあるのだろう。高齢者や女性が多いのが日本の「城管」だが、中国の城管はなぜか屈強な若い男性ぞろいである。

 中国で城管が生まれたのは1997年。新法で行政処罰を行なう執行業務を統一的にまとめた城管部門を作るように決めてからだ。いわば行政の「汚れ仕事」を一手に引き受ける存在だ。

 しかし、この城管はどうしてこうも暴力を振るうのだろう。中国人にいろいろ聞いてみると「彼らは半分がちんぴらだから」とか、「普段の憂さ晴らしをしている」という答えのほかに、城管には逮捕権がないため、法の執行を徹底するためには暴力的に振る舞わざるを得ない事情があると教えられた。確かに、商魂たくましい中国人の露天商を相手にするには、笛を吹いて注意するだけでは効果がなく、見せしめ的に暴力を振るうこともある。

 ただ、それだけではなく、問題の根っこはもっと深いのだろうと思う。

 城管の暴行を見ていて思い出すのは、中国の水滸伝などの歴史小説に出てくる悪い役人たちの姿である。中国の官尊民卑は伝統の悪弊であり、民を見下す官の精神的構図がこの城管問題から感じられる。悪官僚に愛想を尽かした庶民から義賊が立ち上がって英雄となり、世直しに動き出して王朝をひっくり返すのが中国の歴史で繰り返されてきたストーリーだ。中国共産党も国民党や軍閥に搾取されている庶民の味方として登場して人気を集め、政権の座についたのだが、いまや立場はすっかり義賊から悪官僚に逆転しているような気がする。

*国際情報サイト「フォーサイト」 に掲載しました。

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