「記者拘束」から見える中国メディア界の病理

 中国・広東省の新聞「新快報」の記者が警察に拘束された問題で、拘束された記者が金銭を受け取って偽の報道を行なっていたことを「自白」した。取材権の侵害として、記者の釈放を求めて中国のメディア界が沸騰した一時の盛り上がりからすれば、かなり後味の悪い結末を迎えた。

 当事者の新快報も27日に「記者が他人から金銭を受け取り、大量の虚偽報道をしていた。社会各界に深くおわびする」とする謝罪記事を掲載し、振り上げた拳をあっさりと下ろしてしまった。

 この問題は、恐らくこのまま収束していくに違いない。ただ、今回の問題から、中国メディア界の病理がいくつか見えてくる。

 記者の「自白」が当局による強制・ねつ造ではなかったかという陰謀説があるが、その可能性は低そうに思える。もしも陰謀なら、新華社や記者協会などの「体制側」メディアまでが一斉に批判の声を上げることはなかったはずで、記者を拘束した長沙市の公安当局から彼らが状況を把握するために数日のタイムラグがあったことをうかがわせる。

 また、問題の記者が行なった企業批判のキャンペーンの内容の真偽については、金銭授受を暴露した公式メディアの報道を見る限り、定かではない。現時点では金銭の授受がライバル企業との間に起きたことが明らかにされただけだ。もしも陰謀ならば、当局は「結末」までシナリオを描いていて、公式メディアがその詳細を報じているはずである。

*国際情報サイト 「フォーサイト」 に執筆したものです。

 一方、新快報が1面を使って2日連続で「釈放せよ」と呼びかけ、中国全土のメディア界から強い賛同が集まって大きなうねりとなったことは、中央のメディア統制に対する不満が、決壊寸前のダムのように溜まっていることを感じさせた。

 中国のメディア人の間には、天安門事件以後、鄧小平よりも江沢民、江沢民よりも胡錦濤、胡錦濤よりも習近平と、指導者が代わるたびに状況が悪くなってきているという共通認識がある。

 一見、比較的開明的だったかに見えた胡錦濤も報道の自由に関しては江沢民よりも厳しく締め上げた。習近平は、就任してまだ1年が過ぎていないが、記者に「マルクス主義報道観」に基づく試験を義務づけ、メディアの中国版ツイッター「微博」の利用を制限するなど、息苦しさは相変わらず続いており、改善の兆しが見えない。むしろ今回の問題がさらなるメディア締め付けに利用されることを心配する声が出ているのはそのためである。

 注目すべきもう1つのポイントは、中国メディア界の「有償新聞」の深刻さではないだろうか。中国では10年ほど前から、記者が企業などから金銭や接待のメリットを得るかわりに、要望されたままに記事を書くという問題が頻発し、「有償新聞」と呼ばれてきた。

 中国政府は有償新聞を禁止する「有償新聞の禁止に関する若干の規定」などを決めて、メディアもその根絶を目指すという姿勢を取ってきた。しかし、共産党による組織的な縛りが強い反動で、メディア自身が自身の報道倫理や記者教育について自律的に行動できず、報道とその真実性に対するチェックが甘いという構造的問題を抱えている中国のメディア界では、有償新聞の根絶は難しいのではないかと以前からささやかれてきた。

 今回の27歳、入社4年目という若手記者の「暴走」が、図らずも中国の有償新聞的体質が残っていることを世の中に再認識させた形だ。

© 2021 Nojima Tsuyoshi