2013/12/02

中華文明

若き日の内藤湖南が一時期を過ごした秋田県・綴子を訪ねたので、
二回に分けて紹介させてもらいます。

内藤湖南の故郷である秋田県鹿角市から車で30分ほど離れたところに、
内藤湖南が教師として2年間を過ごした綴子という土地があります。
いまは北秋田市の一部だが、かつては綴子村と呼ばれていて、
そこの中学校で内藤湖南は教鞭をとった。その間も内藤湖南は多くの本を読み続け、後の思想家、研究者として大成する基礎を築いたのです。

$私は書きたい

北秋田市が保管している内藤湖南の机を特別に見せていただきました。
本当に小さい。背中をまるめて学んでいる姿が思い浮かびます。
ここで勉強していたのかと思うと感慨深く、ついつい机に何度も触ってしまいました。

$私は書きたい

こちらは、内藤湖南が下宿していたところの跡地です。
郵便ポストの横に「内藤湖南先生下宿跡」と掘られた石柱が建っています。

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これは、その下宿跡のとなりにある宝勝寺。かなり大きなお寺。
当時、ここに日本や中国の漢籍の書物がたくさんあり、
内藤湖南が日々かよって資料を借りて勉強していたらしいです。(つづく)

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