2014/06/03

その他

葛飾北斎の人気が高まっている。いまさら北斎と思われるかも知れないが、北斎を扱った展覧会はものすごく人の入りがいいという。私も北斎にはあまり理解がなくて、せいぜい江戸時代に富士山をたくさん描いた人、という程度の認識に過ぎなかったが、神戸市美術館でやっていた「ボストン美術館浮世絵名品展 北斎」を取材の合間にのぞいてみたら、その認識を改めさせられた。

まず、展覧会で初めて知ったいくつかの事実を紹介したい。皆さんはご存知かも知れないが、私にとっては「驚き」だった。

・北斎の代表作である版画「富嶽36景」は実際は46枚あって「46景」であったこと。これは江戸馬喰町の版元・西村屋与八から以来されたものだが、人気がありすぎたのだろうか。
・もう一つの代表作である幽霊を描いた「百物語」は、百といいながら、五枚しか確認されていないこと。これは、怖すぎて作成が中断してしまったのだろうか。
・ボストン美術館には9万点の日美コレクションがあり、そのうち、北斎の肉筆150作、版画1200、絵本360などを所蔵しているということ。
・北斎が「勝川春朗」としてデビューしてから有名な「北斎」、「為一」などを経て90歳で亡くなる前は「画狂 老人卍」と称するなど、30以上の画号を使めまぐるしく変えたこと、その生涯のなかで93歳も転居していること。衣食に拘泥しない極貧の生活を送っていたこと。

 特に、美術品の移動という問題に関心がある身としては、これだけの北斎作品が、なぜボストン美術館にあるのかという点に興味が引かれる。ご存知のように、ボストン美術館は東洋美術の宝庫である。その最大の貢献者は「茶の心」を書いた日本人キュレーター、岡倉天心だ。
 岡倉の同僚であるアーネスト・フェノロサは、日本から米国に帰国してボストン美術館のキュレーターとなった後、1892-93年に「HOKUSAI AND HIS SCHOOL」(北斎と一門展)をボストンで開催し、世界で初めて本格的に北斎を紹介した。その際に多くの展示品がボストンに運ばれたのだ。
 ボストン美術館にとって北斎などの浮世絵作品は門外不出と言われ、あまり公開もされていなかったので、保存状態が極めて良好とされる。
 、うらやましいやら悔しいやら。大衆作家という位置づけで日本では軽く見られていた北斎の価値を最初に認めたのが欧米だったことは否めない事実で、これはしょうがないというものだろう。今回の展覧会には140点が貸し出されており、特に初期の作品などは日本に残っておらず、これを見逃したらおそらくは二度と北斎の流出品にお目にかかれることはないだろう。
 この展覧会はすでに東京では終わっていて、あとは神戸と福岡を残すのみらしいが、本当に一見の価値のあるもので、間に合ってよかった。

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