中国が台湾の「スパイ工作」公表に踏み切った理由

*国際情報サイトフォーサイトに掲載したものです。

 スパイ工作を含めたインテリジェンスの世界では、お互い、相手が何をやっているかだいたい分かっていても、漏れている情報の深刻度などを勘案しながら、あえて手を出さないで泳がせておくことがほとんどである。静かに監視を続けながら、タイミングが来たら一気にそのカードを切る。

 中国政府はこのほど、メディアへのリークという形で、台湾に留学する中国人学生に対して台湾の情報機関がさまざまな「工作」を行っていたことを公表した。背後には、今年8月、台湾側の大陸窓口機関「大陸事務委員会」のナンバー2だった張顕耀・前副主任委員が、中台協議に関する台湾側の内部情報を中国側に渡していたとして国家機密法違反の疑いで調査を受けたことに対する報復という理由があったと見られる。張氏の情報提供相手は中国側の高官とされ、摘発という行為自体が中国側に衝撃を与えたことは想像に難くない。

暴露された「陸生」スパイ活動

 人民日報系の日刊紙『環球時報』は10月27日、「台湾スパイが大陸学生に裏切りを奨励」と題した記事を掲載した。記事は、2009年から2013年までの間に、台湾大学や宜蘭大学、銘伝大学など20カ所の高等教育機関で、中国人留学生に対して、金銭の報酬を与えることなどによって、中国の政治、経済、軍事関係の政策や機密情報を聞き出した、としている。台湾の情報機関の人員3名の実名や写真まで紙面にさらされ、すでに中国の15都市で40件の事案が摘発 されているという。

 台湾の情報機関の関係者は、中国人留学生に対して、大学関係者の身分や企業経営者の身分を偽装しネットや知人などを通じて近づき、親しい関係になったあとに、「中国進出のための資料」などと称して情報提供を求めていたという。見込んだ学生には企業でポストを用意して、月に1万台湾ドルから3万台湾ドル程度の「給与」を払ってレポートを定期的に書かせていたとしている。

 台湾の情報機関で中国情報を幅広く収集しているのは3つの機関に分かれている。総統府直轄の国家安全局と国防部系の軍事情報局、法務部系の調査局だ。このうち調査局は台湾における中国人のスパイ摘発を主要任務としているので、この件には深くは関わっていないだろう。この記事が本当だとすれば、国家安全局と軍事情報局が当事者ということになる。

 この両局は、もともと中国の内部情報を台湾人ビジネスマン、いわゆる「台商」を通じて収集していた。ところが、2005年ごろまでにこの諜報網が次々と中国当局によって摘発され、中国国内で台湾の民間人が懲役数十年の長期刑を受けるケースが相次ぎ、台湾内部での大きな社会問題になった経緯がある。台商スパイ活動はほぼ停止状態になり、今度は情報のソースを、2008年の中台関係の改善から増加が始まった中国人留学生、いわゆる「陸生」に切り替えていたことは聞いていたが、このような形で具体的な作戦方法が明らかにされたことは、台湾側にとって大きな打撃であることは間違いない。

 しかし、これらの留学生がその時点でどこまで重要な情報にアクセスできていたのかについてはいささか疑問もある。台湾留学を終えたあと、目を付けた学生には中国の政府機関に就職するよう台湾側が依頼していたとも伝えられている。どちらかといえば、相手方の内部に根を張った協力者を養成する方によりリアリティがある。また、中国人留学生は台湾側の誘いには決して乗るなという警告の意味も込められているに違いない。

原点は「三限六不」政策

 興味深かったのは、『環球時報』の記事のなかで台湾の「三限六不」政策がこのスパイ工作の原点にあるとされていたことだ。台湾は中国人留学生に厳しい制限を科しており、「三限六不(三つの制限、六つのノー)」と呼ばれている。

 中国人留学生は一定の水準を超えた優秀な学生に制限し、人数も制限し、医学部や国家安全にかかわる分野では制限するのが「三限」。単位取得を優遇しない、奨学金を提供しない、アルバイトを認めない、台湾人学生の定員と一緒にしない、卒業後の台湾での企業就職を認めない、公務員受験を認めないのが「六不」。特に、アルバイトを認めないことで経済的なプレッシャーを大陸学生が受けているところにつけ込んだという『環球時報』の分析は面白かった。

 記事によれば、台湾に対中スパイ工作として展開する「六大計画」があり、それぞれコードネームが「夏陽」「黎明」「先基」「晨曦」「春風」「復華」であるという。「夏陽」は北京、天津、瀋陽などの都市での情報収集を指し、「黎明」は中台の軍事衝突に備えた情報収集。「晨曦」「春風」は中国大陸での潜伏工作を指しているという。こういう情報も掲載してくれるので、中国の「公式発表」もときには有り難い。(野嶋 剛)

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