2022/01/10

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朝日新聞OBの外岡秀俊さんが亡くなった。しばらく呆然とした。ありがたいことに、論座で過去記事を無料公開しているので記事をちらちら読み直している。
外岡さんの訃報はあまりに突然のことだった。驚くほどたくさんの朝日の関係者がコメントしている。外岡さんが2011年に早期退職制度で突然朝日を去ったとき、何ともいえない「あの外岡さんが・・」という暗い空気が社内に漂ったことを思い出す。FBやツイッターに流れてくるものを読んでいると、外岡さんは色々な意味で「こういう人がいるなら、朝日も捨てたもんじゃない」と社内外の人に思わせる「重し」だったのだと改めて思う。そして、私も含めて、少なくない人が、たとえ偶然ではあっても、外岡さんの喪失と朝日の斜陽を、何か運命的なものとして重ねあわせて感じている。

外岡さんとは15歳ぐらい年が離れているが、私が台北支局長で、外岡さんは香港駐在の編集委員だったとき、初めてお会いした。外岡さんが台湾に出張にきて、偶然、私が調べていたテーマとバッティングしていることがわかった。天の高さを知らないバカだった私は「勝手に台湾のことを書かれるのは困る」みたいなことを外岡さんに言ってしまった。外岡さんはそれを飄々と受け止めて「それなら一緒にやりましょう」と連名の企画に仕立てなおしてくれた。それからすっかり外岡ファンになって、その後も複数の仕事でご一緒したが、原稿の一本一本に知性と良識が滲み、学ぶところしかない人だった。

私が外岡さんから5年遅れること、早期退職制度で朝日を辞めた時も、手書きで励ましのハガキを下さった。最後に対面でお会いしたのは3年前で、札幌で食事をご一緒した。その時、台湾時代の無礼を謝ったら「そんなことありましたか?」と、笑い流していただいた。2020年、台湾と香港について、外岡さんの連載コラムのために、2度ほどオンラインでインタビューしてもらった。外岡さんから質問されるなんてと本当に緊張した。最後のメール連絡は去年の7月。出版された拙著を送ったら、とても丁寧で励まされるメールをいただいた。どれも大切な思い出だが、もっといろいろ話を聞いておけばよかった。外岡さんには非売品の回顧録があり、幸い北海道に行ったときに受け取っている。改めて読み直さないといけない。長きにわたるご指導、深くお礼申し上げます。

https://webronza.asahi.com/info/articles/2022010800001.html?fbclid=IwAR1STtSsYv9kiwV_vgPFmDkD65y7LUpeR9DX5ISsMHIL1lVHnghVmmxt2wA

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