2011/07/13

台湾

$私は書きたい

事実は小説より奇なりと言うが、人生そのものが小説のような人も現実にいる。
「陸上幕僚監部第2部特別勤務班」の元幹部だった阿尾博政さんに東京で会った。
台湾在住だが、東京に病気治療のため来ていて、新宿の定宿のホテルで2時間ほど歓談。
現在私が鋭意取材中の「白団」について、阿尾さんは接触を持った数少ない白団外部の日本人であり、
念願のインタビューがかなった。その内容は来月発売の講談社「G2」で報告するが、
阿尾さんの話は、本当に頭に「!!!」が浮かびっぱなしの内容だった。

阿尾さんが60年代に所属した特別勤務斑は「別班」と呼ばれ、共産諸国の軍事情報を国内で入手するため、私服のチームが組織された。日米共同で情報収集にあたるため、米陸軍のキャンプドレイクに拠点を設け、その名前が「ムサシ」と呼ばれていた。
その後、台湾に派遣されて、白団のリーダーだった富田直亮将軍と親交を重ね、台湾の軍・政界に深い人脈を築いた。そこからがまたすごいが、台湾政府から中国大陸情報の収集を依頼され、中国に渡って、日本側と台湾側の最新の中国インテリジェンスを提供するダブルエージェントもやっていた。
その内容は09年の著書「自衛隊秘密諜報機関――青桐の戦士と呼ばれて」(講談社)に詳しい。

私がすごいと思うのは、ダブルエージェントは普通はどちらか一方の雇い主をだましながらやるものだが、阿尾さんは日本、台湾の両方に了解を取ったうえでスパイ活動をやっていたこと。

80歳になるいまもものすごく元気で、日台間を飛び回っている。
こうした方の存命中にありったけのお話を聞き出すのも、
ジャーナリストの務めなんですね。

© 2024 Nojima Tsuyoshi